人間とは何か? 答えはここにある|ラカンの精神科学
母性に包まれる子は、どこに向かうのだろうか。
それは言語の世界に入る前夜のことです。人は言語によって光の世界に入ります。それを認識といいます。その前夜とは、夜の月明かりの下での茫洋とした世界に喩えられます。ラカンはそれを鏡像段階といい、ラカンの説く理論の中核を成すものです。
ここでは、ラカン理論の鏡像段階における鏡像関係とはいかなるものか。人間に不可欠な鏡像関係は何をもたらすのか。日本における鏡像関係の始まりからひも解き、わかりやすく説いていきます。
鏡像関係の始まり
日本人は古来、この鏡像段階理論をラカンに先立って、「人の振り見て我が振り直せ」と、諺に残しているように、他者が我が心を映しだす鏡像だという認識を既に持っていました。これをラカンが二十世紀になって、ようやく光学的に理論化したのです。
鏡像理論の始まりは、遠く嵯峨天皇の観月の夕べに遡ります。嵯峨天皇は大沢の池に映る満月を鑑賞する風雅を実践した人です。当の満月を眺めるのではなく、その満月が池の水面に映り揺らめく、その月を愛でました。
これは人の振り見てわが心を眺め、それを反省し自己認識に至る、この気付きのプロセスと全く同じです。形式において観月の夕べの遊興は、鏡像段階の自己認知のメカニズムへと、二十世紀になって科学的に証明されました。
鏡像とは:他者に見出す自己イメージ
理論的に説明するならば、人は自己表象という自己の性格を言葉をもって映像化しています。
例えば、「短気」「優しい人」「真面目」「几帳面」といった性格を言葉で表現し、その表象イメージを心の裡に抱いています。
鏡像関係とは、自己の表象イメージを他者の言動の中に見出す構造と、ラカンは説きました。すなわち、ここに働いている心的作用は自己の存在を一つの自己イメージとして持っていることを表します。そのイメージを相手に投影する、まさに月が光を放ち太陽の光を反射して湖面に自らの姿を投影しているように、我々もまた、自己の心の姿を他者に映しそれを眺めているのです。
しかし、それは非常にうつろいやすく、小石の一擲でその像は揺らぎ崩れてしまう。それほどこの自己のイメージは危うい不安定なものです。それが故に、滅多に正しく自己を認識することはありません。
鏡像関係がもたらすもの:心の絆
鏡像段階のテーマは、母と子の間において互いを映し合う関係を指しています。互いが互いの鏡となって、その同一性を認識し、それを互いの自我の同一化として、心を形作る大事な時期としました。
自己という捉えがたい人間の内的イメージの存在が、鏡像という他者の自我イメージの一致において、それを学習します。その同一化は、後に自分の理想的姿に同一化するところまで発展していきます。これを心理学ではアイデンティティー(自己同一化)といいます。
この全く違う個々の人間が、互いが同じであると認識することは、絶対的孤独な人間の寂しさと孤立感を癒すものです。これを人は、心の絆といっています。
※『漢字に学ぶ奥深い人間の心』より抜粋
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ラカンの鏡像段階理論は、人間にとって大切なことを教えてくれています。対人恐怖を克服し、鏡像段階を経て他者と鏡像関係になり、共に笑い、共に泣き、共に喜び、共に悲しみ、助け合い支え合いながら人生を送りたいですね。
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