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大澤秀行

生きる意味への気づきをもたらす精神分析家

大澤秀行(おおさわひでゆき) / 精神分析家

合同会社LAFAERO1(ラファエロワン)

コラム

「学ぶ」とは何か! 何を「学ぶ」のか

2022年11月24日 公開 / 2023年11月8日更新

コラムカテゴリ:メンタル・カウンセリング




「学ぶ」とはどういうことを学ぶというのでしょうか。また、何を学ぶのでしょう。

現在日本では、義務教育により知識は学べる環境にあります。またインターネットの普及により知識は日常生活の中に溢れています。

学ぶものは知識だけでいいのでしょうか。
知識を身につけただけで、人間として豊かな心を持ったと言えるのでしょうか。




学ぶとはどういうことか

学ぶとは知ること。
知ることは、「知識」と「知性」の二つあります。
「知識」と「知性」は似て非なるもの、全く異なります。

知識:生きるために必要なもの。人、物、環境によって異なるものでそれぞれの見解。
知性:人間だけが持っている論理的思考力。


人は何を学ぶのか


1.学ぶと知を得ること
2.知とは論理
3.論理とは理論
4.理論とは真理

このように、学ぶとは真理を学ぶ、真理の知を得ることです。                 
クライアントS様から頂戴したお手紙を例に「学ぶ」「真理の知」についてお話しします。


知に惚れ込む

<クライアントS様>            
子供時代を顧みれば、学校へ学びたいと思って行ったわけでもなく、当たり前のように行っていました。だから勉強への積極性も、物への関心、宇宙の不思議などに全く興味はありませんでした。日々安穏と暮らしていたように思います。

そんな私に、子供が「あなたはおかしい、間違っている」と、私の問題点を投げかけてきました。そして私は先生の精神分析を受けるに至りました。

分析を受けるとともに、精神科学の講座を受けるようになったのは、「精神科学を知りたい」というより「自分を知りたい!」が動機でした。

なぜ? なぜ? どうして? 
初めて問いを持ちました。問いを持てたのは問いを言語化できたから、言語にできると意識化できて、意識できればそこへ向かう。学ぶしかないとなりました。

私は生きるための知識、料理・洗濯・電車の乗り方・日常のあらゆる生存のための知識はありました。

が、しかしそれは「自分らしく楽しく活き活きと生きる」には何の意味も無い知識ばかりだと。先生に、コンプレックスにまみれたその知識は「ゴミだ」と言われたのに、その「ゴミ」をノスタルジーにかられて、哀れで中々捨てられませんでした。純粋なものは何一つ無いのに。


だから何ものにも汚染されていない、意味の付いていないものを知りたくなりました。それが「真理」でした。真理は一つ。だからお釈迦様が言うことも、何かをやり遂げた人が言うことも、宇宙科学や自然科学、精神科学や医学もすべて一つのことを言っている、それが真理だと先生は言われました。

私は「自分を知りたい」から「真理が知りたい!」になりました。学ぶ第一歩は、とにかく「本を読むこと」「語彙力を増やすこと」と言われました。
しかし、中々継続できません。「する!」ただそれだけなのに、エネルギーが涌いてこない、続けられないのです。




ある日、セラピールームの机上に先生の本が置いてありました。ボロボロに読み込んであり、その本は唯一私が何度も最後まで読んだ精神科学の本でした。
先生がその本をまた読んだのだと判りました。付箋もたくさん付いていて、きっと新たに気付きがあって付箋が増えていると、簡単に推測できました。

すべてを熟知して理解しているにも拘わらず、こんなに何度も何度も開くんだ。まだ気付かないこと知らないこと、学べることがあると、先生のあくなき探求心を目の当たりに触れたような気がしました。

本当に精神科学が好きなんだなぁと。心酔されてる姿が浮かびました。

しかし、先生は学ぶためでも気付きのためでもなく、いつでも数分時間があれば何気なく本を開き触れているのだと、そしてそのとき必要な一文がぱっと目に入ると言われます。
それほど日常的で自分の一部なんだ、これが「惚れ込む」ということなのかと。


常々講座で対象に惚れこむこと、惚れこむことがエネルギーになると。それを学んだように思いました。そして私は、惚れこむところまで至ってないことを知りました。

机の上にポツンとあった一冊の本、そこに「学ぶ」とは何かを見せつけられた気がしました。

「学ぶ」とは、その対象に「惚れ込む」ことと先生は言われます。「惚れ込む」ことさえわからない私は、まず形から真似ようと思いました。日常的にあの一冊の本を鞄に忍ばせ、いつでもパッと開いて一行でも触れようと決めました。


知は自然から学ぶ



いかがでしたでしょうか。
学ぶについてクライアント様が気付かれたことが書かれています。   
                              

人間の一番無駄なもの、贅沢は「知を学ぶ」ことです。
学んだからどうなることもなく、知ったからどうなるものではありませんが、現象の奥に在る真理を知ったとき、一筋の光に出会ったに等しく、揺るぎない普遍性に触れます。

そしてそれは人間として豊かな心になります。この豊かさこそ何よりの贅沢ではないでしょうか。決してお金で買えるものではありません。

学ぶとは、自然と対峙してそこから聞こえる真理の声に耳を傾けることです。

それぞれが惚れ込んだものに対してずっと向き合い続けると、必ず一つの真理に出会えることでしょう。その真理を求めて学ぶのではないでしょうか。


セラピストの格言 
⇨ 格言-97「知性を求める人へ」 

この記事を書いたプロ

大澤秀行

生きる意味への気づきをもたらす精神分析家

大澤秀行(合同会社LAFAERO1(ラファエロワン))

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