知的障害を持つ子どもの将来が心配
日本は世界でも有数の長寿国です。
高齢社会が進むことで、誰かの支援が必要となる高齢者の数も増加しており、そうした人々を保護するための成年後見制度への注目が高まっています。
この記事では、認知症などにより判断能力が不十分になった方を保護、サポートする「成年後見制度」についてご説明します。
成年後見制度とは
・成年後見制度
成年後見制度とは、認知症や精神障害などにより正常な判断ができなくなった方が、不利益を被らないように、その方を援助する人物をつけて、法的な手続きを行えるようにする制度です。
成年後見制度では家庭裁判所が、判断能力がなくなった方の代理人となる「後見人」を選任します。一般的には、本人の親族や我々のような専門家が後見人となり、本人の生活と財産を保護します。
・成年後見登記制度
成年後見登記制度は、成年後見人の権限や任意後見についての利用事項、権限、契約内容を「後見登記等ファイル」に登記することで、事実関係を明確にした証明書を発行できるようにする制度です。
本人や成年後見人が請求すれば、登記官が登記事項を証明した「登記事項証明書」を発行します。これを取引の相手方に示せば、安全で円滑な取引ができ、判断能力が衰えた方の安全を確保できます。
成年後見制度のメリット
実際に成年後見制度を利用した場合、どのようなメリットが期待できるのでしょうか。詳しく見てみましょう。
1.後見人が、判断能力が低下した本人の代わりに財産と生活環境を管理します。例えば、施設に入居する際に必要となる契約や更新手続きを、後見人が本人の代わりに行います。
2.「悪質な訪問業者に強くすすめられ、大切な財産を安く売ってしまった」「必要もない高額商品を買ってしまった」「必要のない住宅リフォームを契約させられた」など、本人にとって不利益になる契約を取り消すことができます。
※取消権があるのは補助人、保佐人、後見人です。任意後見人には取消権がありません。
3.親族や第三者が本人の財産を勝手に使い込むことを防ぐ事ができます。
4.後見人が財産管理をして記録を残しておけば、相続時の財産をめぐるトラブル発生を避けることができます。
成年後見制度のデメリット
このように便利な成年後見制度にもデメリットはあります。次は、デメリットについて順に見ていきましょう。
1.後見を受ける本人は、会社の取締役や弁護士、医師などの一定の資格に就くことができなくなります。
2.親族であっても本人の財産を簡単に使うことができなくなります。また、本人の希望とは違う財産管理になることがあるので、「孫の学費を支援したい」などの要望が叶えられないことも。相続税対策や資産運用などもできなくなります。
3.後見を受けている方の生活や財産に関して第三者(裁判所、弁護士など)が介入してきます。
4.後見人に支払う報酬(費用)が発生します。
成年後見制度の種類
成年後見制度は、2つの種類「法定後見制度」「任意後見制度」に分かれています。それぞれの違いについて理解しましょう。
・任意後見制度
任意後見は、将来に備えて「任意に」契約を行う制度のことを指します。
この制度を利用すれば、健康で人の助けを必要としない時に、支援者を探し契約しておくことができます。実際の任意後見は判断力が不十分になってから始まります。
将来、支援してもらう内容をあらかじめ決めておくことで、判断能力が弱くなったときに備えることができる制度です。
・法定後見制度
法定後見制度は、すでに判断能力が不十分な人が利用する制度です。
支援者は、判断能力が不十分な本人に代わり、法律によって定められます。法定後見制度を始めると、本人の判断能力が回復するか死亡するまで制度が続きます。
【法定後見制度の種類】
法定後見制度は、本人の判断力の程度によって、後見、保佐、補助の3つに分かれています。
●「後見」は、判断能力の低下程度が重度の人が対象となります。
・判断能力の程度が重度とは、以下のような状態です。
1.お金に関する判断を自分一人ではできない
2.重度の認知症・障害により、簡単な買い物ができない
3.お金や財産の管理や処理を自分で行えない
●「保佐」は、判断能力の低下程度が中度の人を対象としています。
・判断能力の程度が中度とは、以下のような状態です。
1.お金に関する判断が著しく不十分
2.簡単な買い物はできるが、財産に関する重要な判断ができない。
3.自分のお金や財産を管理したり処理する際に、いつも第三者の助けが必要となる
●「補助」は、判断能力低下の程度が軽度な人が対象となります。
・判断能力の程度が軽度とは、以下のような状態です。
1.お金に対する判断が不十分
2.ある程度の財産管理ができるが、重要な判断に不安がある。本人も判断力の低下を自覚している。
3.自分のお金や財産を管理・処分する際に、人の助けが必要になる時がある。