大中英嗣プロのご紹介
さまざまな素材を用いた手芸・工芸の魅力を伝えるべく岡山を拠点に活動(2/3)
編み物の普及に努めた母の跡を継ぎ「せとうち花倶楽部」の代表に
大学を卒業後、京都で会社勤めをしていた大中さんが、岡山に戻ったのは2002年のことでした。
「その年に母が突然他界し、急きょ事業を引き継ぎました。母は地元の倉敷市児島を中心に広く編み物の普及に努め、“ニットの貴公子”広瀬光治さんら6名からなる“21世紀ハンドクラフトセンター”のメンバーの一人でした」と大中さん。文部科学省認定の書籍「伝統のニット」の出版に携わるなど、全国的にも知られた存在だったと言います。
母に代わり、事務局の運営や年々増加する講師を取りまとめるなど、忙しい毎日を送る大中さん。「いずれ家業を継ぐつもりだったけれど、手芸のことはまったくわからないところからのスタート。講師の方々に助けられながら、無我夢中でやってきた」とこれまでの日々を振り返ります。
また、妻の美佳さんなどまわりの支えもあったようで「妻の母も大阪で編み物文化教室を主宰していました。私の母と同じ『21世紀ハンドクラフトセンター』のメンバーで、各種手芸の指導者として活躍していて心強いですね」と笑顔を見せます。
多くの人との縁を大切にしながら、自身の母が築き上げた「編み物」「押し花」「ポーセラーツ」教室の一層の普及、振興にも尽力。講師のスキルアップのために講習会を開くほか、各手芸の合同作品展を実施しています。
2004年と2017年には「中国・四国押し花アート展」の実行委員長を務め、大成功を収めました。また、国や県主催のイベントで手芸体験会なども多く開催。2009年には、「全国都市緑化フェアおかやま2009」に参加し、押し花のインストラクターやその生徒など、多くの仲間たちが力を合わせて作った3万枚の“押し花しおり”を来場者に寄贈。岡山市から感謝状が贈られました。
<次ページへ続く>
大中英嗣プロへの
お問い合わせ
マイベストプロを見た
と言うとスムーズです
勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。