お彼岸は、自分の心を見つめる時間 ― 六つの修行「六波羅蜜」

昨夜、寺のテラスで月下美人が咲いてくれたようです。
今季三度目の開花。
しかも、いくつもの蕾をつけていたので、咲く日を楽しみにしていました。
ところが――
私は、すっかり見るのを忘れてしまったのです。
今朝、テラスに出てみると、そこには一夜を咲ききり、静かにしぼみ始めた二輪の月下美人がありました。
思わず「あ、、、ごめんね」と言葉がもれていました。
そしてふと、こんなことを思いました。
誰も見ていなくても、花は咲く
昨夜、私はこの花を見ていません。
けれど月下美人は、私が見ているか、見ていないかなどお構いなしに、いつものように花を開いたのでしょう。
誰かに褒めてもらうためでもなく、
誰かに美しいと言ってもらうためでもなく。
与えられたその場所で、何の愚痴も言わず、ただ精一杯に咲く。
そして一夜を咲ききると、静かに花を閉じていく。
その姿に、私たちの生き方を教えられたような気がしました。
人にどう見られるかではなく、どう生きるか
私たちは、ときに人の目を気にしてしまいます。
「頑張っていることを分かってほしい」
「誰かに認めてもらいたい」
「こんなにしているのに、どうして気づいてくれないのだろう」
そんな思いが心に浮かぶこともあるでしょう。
けれど、大切なのは、人にどう見られているかではなく、
自分が今をどう生きているかなのかもしれません。
仏さまの教えは、知識として知るだけではなく、日々の暮らしの中で実践していくもの。
目の前の人にやさしい言葉をかける。
誰も見ていなくても、すべきことを丁寧にする。
いただいたご縁を大切にする。
今日、自分にできることを精一杯する。
それは、とても地味なことかもしれません。
けれど、花が誰に見られることも求めず咲くように、
私たちもまた、それぞれに与えられた場所で、
自分のできることを重ねていけばよいのではないでしょうか。
限りある命だからこそ
月下美人の花は、一夜という短い時間に、その美しい姿を見せてくれます。
その命の姿は儚く、だからこそ美しい。
私たちの命もまた、いつまでも同じ今日が続くわけではありません。
だからこそ、
「いつか」ではなく、「今日」。
伝えたい「ありがとう」があるなら、伝えられる今日に。
誰かにできることがあるなら、できる今日に。
そして、自分に与えられた一日を、今日できる精一杯で生きる。
昨夜の満開の月下美人を見ることはできませんでした。
けれど、今朝、少ししぼみかけたその花から、満開の姿を見ていたら気づかなかったかもしれない、大切なことを教えてもらいました。
誰かが見ていても、見ていなくても、花は咲く。
私もそんな花のように、
人の評価に心を奪われるのではなく、与えられた場所で、自分にできることを一つひとつ。
今日という一日を、精一杯に生きていきたいと思います。
そして、このコラムも本当は昨日、月曜日に更新する予定でした。
それを、うっかり忘れてしまいました。
けれど――
一日遅れたからこそ、書けるお話が生まれました。
そう考えると、「しまった」と思った出来事の中にも、思いがけない気づきが待っているのかもしれませんね。
今日も、それぞれに与えられた場所で、
自分らしい花を咲かせる一日となりますように。
...感謝合掌...


