ペットにお葬式は必要なの?
今朝、正雲寺では、一匹の小さな家族の初七日法要をお勤めしました。
その子は、小さなハムスターです。
ご家族にとって、正雲寺で大切なハムスターを見送られるのは、今回が二度目でした。
前の子のときにも、お葬式のあと、初七日から四十九日まで、七日ごとの中陰供養にすべて参列されました。
そして今回も、
「この子にも、同じようにしてあげたいです」
とおっしゃいました。
その言葉を聞きながら、私は改めて思いました。
命を大切にするということに、大きいも小さいもないということを。
四十九日までの「中陰供養」
仏教では、亡くなってから四十九日までの期間を「中陰(ちゅういん)」といい、七日ごとにご供養を重ねていく習わしがあります。
初七日、二七日、三七日……そして七七日の四十九日まで。
正雲寺では、ペットの中陰供養も、人のご供養と同じように大切にお勤めしています。
私はいつも、この四十九日間をご家族にお話しするとき、
亡き子が初めての道を歩んでいく四十九日間であると同時に、
残されたご家族にとっても、その子のいない毎日を歩き始める四十九日間なのだと思います。
とお伝えしています。
七日ごとに手を合わせ、名前を呼び、亡き子を想う。
それは旅立った子へのご供養であるとともに、ご家族自身が悲しみと向き合いながら、一歩ずつ歩んでいく時間でもあるのではないでしょうか。
もちろん、七日ごとのご供養を「しなければならない」ということではありません。
供養のかたちは、それぞれです。
大切なのは、その子を想い、手を合わせる心なのだと思います。
命に、大きいも小さいもない
人間だから丁寧に供養する。
動物だから、そこまではしなくていい。
犬や猫なら供養するけれど、ハムスターのような小さな動物なら……。
私は、仏さまの前で、命をそのように分ける必要はないと思っています。
一緒に暮らし、名前を呼び、愛し、そして愛された。
その命がどれほど小さくても、ご家族にとっては、かけがえのない一つの命です。
だからこそ、
「家族になってくれて、ありがとう」
と手を合わせて見送る。
そこにあるのは、ただ一つ、命を慈しむ心です。
鳥や獣に至るまで、合掌礼拝の心で
私が大切にしている『菩薩願行文』には、このような一節があります。
「古え先德は鳥類畜類に至るまで、合掌禮拜の心を以つて愛護し給えり」
昔の徳の高い方々は、鳥や動物に至るまで、合掌し礼拝する心をもって慈しみ、大切にされた、という教えです。
「人の命」と「動物の命」。
私たちは、つい分けて考えてしまいます。
けれども、目の前にある命を慈しみ、尊び、手を合わせる心に、命の大きさや種類による違いはありません。
今朝、小さなハムスターのために手を合わせるご家族の姿を見ながら、私はこの『菩薩願行文』の言葉を思い浮かべていました。
合掌する姿から、伝わっていくもの
以前、そのご家族からこんなお話を伺ったことがあります。
幼い頃、お祖母さまが毎日、仏さまに手を合わせている姿を見て育ったそうです。
私はそのお話が、ずっと心に残っています。
お祖母さまから「命を大切にしなさい」「供養とはこうするものです」と、言葉で教えられたのかどうかは分かりません。
けれども、もしかすると――
毎日、静かに仏さまに手を合わせるお祖母さまの後ろ姿から、言葉ではない大切なものを、自然と受け取ってこられたのかもしれません。
そして今、その方が小さな家族のために手を合わせています。
お祖母さまが仏さまに手を合わせる。
その姿を見て育ったお孫さんが、今、一つの小さな命に手を合わせている。
そう考えると、仏さまの教えは、難しい言葉だけで伝わっていくものではないのだと思います。
誰かを慈しむ姿。
命を大切にする姿。
静かに手を合わせる姿。
その姿そのものが、いつか誰かの心に残り、また次へと受け継がれていくのかもしれません。
今日の初七日法要で、私はご家族の姿から、改めてそのことを教えていただきました。
人も、動物も、同じ一つの尊い命。
その命に「ありがとう」と手を合わせる心を、これからも大切にしていきたいと思います。
合掌


