ペットにお葬式は必要なの?
9月も半ばに入り、秋のお彼岸が近づいてきました。
境内を歩いていると、黄色い彼岸花が静かに咲いていました。
暑かった夏から秋へ。季節は少しずつ移ろっています。
お彼岸が近づくと、
「そろそろお墓を掃除しなければ」
「お供え物を用意しよう」
そんなことが頭に浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
けれども、お彼岸は、亡くなった方のためだけの行事なのでしょうか。
「彼岸」と「此岸」
仏教では、私たちが生きている迷いや苦しみのある世界を**「此岸(しがん)」、その迷いや煩悩を越えた悟りの世界を「彼岸(ひがん)」**といいます。
つまり「彼岸」とは、もともと単に「亡くなった人がいるあの世」という意味ではありません。
私たち自身が、迷いや苦しみを越えて仏さまの教えに近づいていく。その向こう岸を表す言葉です。
ですからお彼岸は、ご先祖さまや亡き人に手を合わせるとともに、今を生きている自分自身の生き方を見つめ直す時間でもあるのです。
手を合わせると、自分の心が見えてくる
お墓やお仏壇の前で静かに手を合わせていると、不思議と普段とは違う言葉が心に浮かぶことがあります。
「私は今、どんなふうに生きているだろう」
「大切な人を、大切にできているだろうか」
「あの人が今の私を見たら、何と言うだろう」
亡き人は、直接答えてはくれません。
けれど、その人を想って静かに手を合わせることで、日々の忙しさの中では聞こえなかった自分自身の心の声が聞こえてくることがあります。
それもまた、お彼岸の大切な時間ではないでしょうか。
お墓参りは「今の私」を伝える時間
お墓参りは、お願い事をするためだけのものではありません。
「おかげさまで元気にしています」
「こんなことがありましたよ」
「心配をかけたけれど、何とかやっています」
そんなふうに、今の自分を報告する時間でもあります。
そして、亡き人が残してくれたものを思い出す時間でもあります。
口癖や笑顔。
得意だった料理。
仕事への向き合い方。
叱られたこと。
何気なくかけてもらった優しい言葉。
命には限りがあります。
けれど、その人から受け取ったものは、私たちの中に残り、今も生き続けています。
お墓へ行けなくても、供養はできます
遠方に住んでいたり、仕事や体調などの事情があったりして、お彼岸にお墓参りができない方もいらっしゃるでしょう。
「お参りに行けないから申し訳ない」
そう思われる方もいますが、私は、供養でいちばん大切なのは場所ではなく、想う心だと思っています。
写真の前で手を合わせる。
名前を呼ぶ。
好きだった食べ物をお供えする。
家族でその人の思い出を語る。
ふと思い出すこともまた、供養です。
そしてもう一つ。
亡き人からいただいた優しさを、今そばにいる誰かへ手渡してみる。
亡き人への「ありがとう」が、今を生きる誰かへの優しさに変わったとき、その人から受け取ったものは、私たちの暮らしの中で再び生き始める。
お彼岸は、ご先祖様のところへ出かける日。
そして、自分が大切にしたかった生き方へ、もう一度帰る日。
手を合わせるひとときが、これからを生きる小さな道しるべとなりますように。


