九九の覚え方(10)(九九ができない大学生を作ってしまう九九暗記の落とし穴)
記憶について考える上で、LTPという現象とLTDという現象も考慮する必要があります。LTPとはLong Term Potentiationの略で、日本語に訳すと「長期増強」となります。LTDとはLong Term Depressionの略で、日本語に訳すと「長期抑制」または「長期抑圧」となります。
ウィキペディアには「長期増強は大脳皮質、小脳、扁桃体などの様々な神経構造で見つかっている。長期増強の代表的な研究者の1人であるロバート・マレンカは長期増強は哺乳類の持つ全ての興奮性シナプスで起きているとしている。」とあります。ウィキペディアにはLTDの項目はありません。恐らくLTPほど研究が進んでいないからだと思います。
脳科学辞典には、「長期増強(long-term potentiation, LTP)は、神経細胞間のシナプスにおいて伝達効率が長期的に上昇する現象である。記憶形成時に実際にLTPの誘導が観察されたことから、LTPは記憶のシナプスレベルの素過程であり、学習時の入力により活性化した一群の神経細胞間のシナプスでLTPが誘導されることが示唆されている。LTPの誘導には、N-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)型グルタミン酸受容体の活性が必要であるが、同様に長期記憶の形成もNMDA型グルタミン酸受容体の活性に依存している。」
と書いてあります。LTDについては「神経活動に依存してシナプスにおける神経細胞間の情報伝達効率が変化するシナプス可塑性の1種である。長期抑圧が誘導されたシナプスでは神経細胞間の情報伝達効率が長期に渡って低下する。記憶や学習といった高次脳機能の細胞レベルでの基盤ではないかと考えられている。そのメカニズムはプレシナプス(シナプスの軸索側)からの伝達物質の放出量が低下する場合と、シナプス後部(シナプスの樹状突起側)の神経伝達物質受容体のイオン透過性やその数が減少する場合がある。1977年に海馬で、1988年に小脳で報告された現象であるが、他の領域にも広く存在する。」とあります。
つまりLTPおよびLTDという現象はすべての神経系で起きており、しかも長期記憶の形成に重要な働きをしていると考えられます。LTPおよびLTDについては研究途上でまだまだ分からないことが多くあるようですが、短期記憶に関係する海馬における現象について考えてみましょう。
以前にも引用しましたが、次に海馬の図を載せます。『記憶のしくみ 下』(ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル共著 講談社ブルーバックス 2013年)15ページ
LTPという現象とLTDという現象についての解説をいくつかの本や論文で調べてみましたが、どれも非常に歯切れが悪い説明になっています。なぜかというと分かっていないことがまだまだ多いからです。私が主に参考にしている『記憶のしくみ』と『記憶力を強くする』を読み比べてみても説明の違う部分があります。
そこで専門家ではない私の特権でお気楽に言わせていただけば、LTPおよびLTDという現象こそ短期記憶という現象そのものであり、その過程で重要な情報は増強して長期記憶する情報として処理し、逆に重要ではない情報は抑圧して長期記憶しない情報として処理していると考えられます。(間違っていたらごめんなさい。)
ここからは『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)の方が分かりやすく書かれていますので、こちらを参考にします。
次の海馬の断面図を見てください。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)49ページ
52ページにはこう書かれています。「側頭葉からやってきた情報は、海馬をくるりと一回りして、 ふたたびもときた場所へ帰っていくのです。しかも、その情報の流れは一方通行で、図4の下の 模式図で示してあるようにいつも時計回りにまわります。決して逆回転はしません。必ず「側頭葉」→「歯状回」→「CA3野」→「CA1野」→「側頭葉」の順番で信号が流れるのです。
そして、なにより重要なのは、海馬の中ではこのような経路で情報が伝達されるたびに、その入力情報がさまざまな形で処理されたり、統合されたり、あるいはまた削除されたりすることです。海馬に入ってきた情報は、適切な形に整理されてから、ふたたび側頭葉へと帰っていくのです。「料理」のたとえでいえば、海馬に送られてくる情報はあくまでも「食材」であって、海馬で「調理」されて初めて食べることのできる「料理」という形となって、側頭葉に送り返されるのです。」
では情報はどのような形で伝わっていくのでしょうか?情報が伝わるのは神経細胞の中です。次に神経細胞の図を載せます。『記憶のしくみ 上』(ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル共著 講談社ブルーバックス 2013年)86ページ
この神経細胞の中を「電気信号」が通ります。「電流」ではありません。神経細胞(神経繊維)の「軸索」にはたくさんの穴(ナトリウムチャンネル)が開いており、そこから体液の塩分(ナトリウムイオン)が神経細胞の中に流れ込むことにより神経細胞が電気的に興奮します。
これを「活動電位」といいます。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)100ページ
そしてこの穴の開く場所が1個ずつ隣にずれていくことによって電気的に興奮する場所がずれていき「電気信号」が神経細胞の「軸索」の中を流れることになります。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)97ページ
こうして「電気信号」が流れていき、神経細胞の「軸索」の終点(シナプス)まで来るとそこには「シナプス小胞」という小さな袋があります。この袋の中にはグルタミン酸、アセチルコリンなどの「神経伝達物質」と呼ばれる物質が入っており、「電気信号」が流れて来るとその袋の中の物質を「シナプス間隙」と呼ばれる神経細胞の隙間に放出します。
『記憶のしくみ 上』(ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル共著 講談社ブルーバックス 2013年)98ページ
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)107ページ
すると、「シナプス間隙」の次の神経細胞には「受容体」というものがあり、この「受容体」にあるセンサーが「神経伝達物質」を感知すると受容体の穴が開きナトリウムイオンが次の神経細胞の「樹状突起」中に流れ込みます。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)104ページ
ところが「樹状突起」にはナトリウムイオンを通すたくさんの穴(ナトリウムチャンネル)がありません。つまり受容体の穴から入ったナトリウムイオンだけによる「電気信号」が「細胞体」まで流れます。この「電気信号」を「シナプス電位」と呼びます。次に「細胞体」は「シナプス電位」がある基準より弱いと無視して活動しません。ここで「電気信号」は止まってしまします。ところが「シナプス電位」がある基準より強いと「細胞体」は活動して「軸索」に「活動電位」を発生させ「電気信号」を送り込みます。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)117ページ
こうして神経情報が流れていくことになります。
『記憶力を強くする』(池谷裕二著 講談社ブルーバックス 2001年)112ページ
この説明は次回に続きます。