33 「人生の時間旅行記」 家と町並み編 照明と暖房
まだまだ、梅雨空でパッとしませんね。
また、激しい雨が降ってきました。
今日は、子どものころの家のお手伝いですが、皆さん思い出がいっぱいあるのではないでしょうか?
家の中の掃除・・ほうき、ぞうきん、はたき、障子貼り
家の外の掃除・・竹ぼうき、ちりとり、ごみ箱
買い物、兄弟の重り、肩車、おんぶ、乳母車、子守唄、肩たたき、小遣い
店の手伝い、農作業の手伝いなど
「超自分史ガイドより引用」
お手伝いの思い出は、たくさんありますよ。
濃尾平野のど真ん中だったので、田んぼも畑もあります。
子どものころは、田植えもしたし、稲刈りも手伝いましたよね。
親戚一同集まって、にぎやかでした。
田植えなどは、親戚の家の手伝いにも駆り出され、いとこたちと泥だらけになって一列に並んでしたこともありました。今のように、田植え機などありませんでしたからね。
足の指の間から泥が、ニュルッとでる感触ってわかるでしょうかね。
秋になると稲刈りです。やはり稲刈り機もないころですから、鎌で刈り取っていました。一番嫌なのは、運ぶのに背中に稲の屑が入ってかゆくなることでしたね。
今では脱穀まで機械でしてしまうのですが、当時は竿にかけて乾燥させていました。
本当においしいお米を食べていたんだなって思います。
今では農協が全部してくれて、保存までするので必要な時だけ取りに行くようです。
その田んぼも、新しい道路ができることでなくなるということで、時代が変わっていきます。
畑も近いところと、遠いところにもあったりして、リヤカーに乗せられてすいかや黄色いエリザベスメロンやキュウリ、トマトなど何でも作ってましたね。
今思えば、結構遠かったような気がしますが、よくそこまで歩いて行っていたなあと改めて思っています。
そこもトヨタの工場になってしまったようです。
小学生までは、近所のおばさんの子どもを、留守の間遊んであげたりしてましたね。
よくおばさんも、子どもの私に預けたものだと思います。
でも、当時はそれが当たり前だったのですよね。
前回帰った時にも、本当に何年振りかでおばさんに会うことができ、とても懐かしがってくれました。
お風呂も今のようにボタン一つでお湯が出るのではなかったので、薪で沸かしていましたのでその間の火の番をしながら、本を読んだり藁を編んだりということもしていました。もう、いつの時代かと言われそうですが、昭和の時代ですよ。
以前書いたように、人形のパーツを作っていたので高学年になると、夏休みには手伝っていたし今の子どもたちよりも、お手伝いはしていたといえますね。
その分、親と一緒にいることも多かったような気がします。
そんな懐かしいと思える思い出があることは幸せなんですよね。
写真はACより