塾長の考え(上杉謙信 家訓16箇条)

成績不振に陥っている生徒。
そのほとんどの生徒の特性において、
明らかに「自立型」の要素が少ない。
成績の良い悪いは、
中学生時代まではごまかせるが、
高校生のときの成績(模試)に、
はっきりと出てくる。
本当の成績(真の学力)。
それは定期テストでは出てこない。
全国規模の模試になってはじめて、
その生徒と親御さんの目の前に、
リアルなものとして出現してくる。
定期テストの結果で「いい悪い」は、
じつは正確には判断できないのだ。
「頭がいい人が成績がいいのでは?」
そう思う人が大半だと推測するが、
実際に言われるところの、
「頭がいい」
は不明瞭なもので不確実なものだ。
学校のテストの成績が良ければ、
「頭がいい」
と言われがちだ。
だがその評価はその生徒の、
ある一面を表しているに過ぎない。
例えばの話だが、
ここにテスト範囲表があるとしよう。
それも社会だとする。
かつ初期条件としては、
それぞれの生徒がその内容に関して、
今までに見たことがないものとする。
つまり知識ゼロでの勝負ということ。
この範囲の勉強を5時間するAさんと、
1時間だけするBさんがいた場合。
どちらがいい成績をとるだろうか。
結果だけ見ると、
Aさんが90点でBさんが65点だった。
こんなケースは山ほどある。
特に中学生の定期テストの結果において。
この場合の評価は、
Aさんが優秀で、Bさんはふつうとなる。
ところが、
Bさんがもしも5時間ではないにせよ、
3時間勉強したとする。
その結果、
とれた点数が100点だった場合は、
どう評価するのか?
本当にBさん(65点:1回目)より、
Aさん(90点)の方が優秀だと、
比較して言えるのだろうか?
「頭がいい」
その言葉には、
「もともと」とか「生まれつき」とか、
そういう場合もあれば、
「テストの結果が良い」などの、
目に見えるものでの評価がある。
塾長として現場で30年以上やってきて、
このようなことには多く直面してきた。
頭がいいかどうかで入試の合否が決まる、
そんな単純なものではない。
地頭の良い生徒はたしかに存在する。
しかし、
結果を出せるかどうかは別問題なのだ。
繰り返すが、
別問題なのだ。
(続く)


