塾長の考え(ショート 604)
なぜ私は宮崎大学附属中学校に、
落ちたのか?
詳細は後に明らかにするとして、
当時の記憶を述べたい。
今でもハッキリと覚えているが、
合格発表日に私は掲示板の発表、
これを見に行きたかった。
受かっている自信はなかった。
当時の受験科目には、
国算社理以外に、
音楽や家庭科などの、
いわゆる副教科もあり、
それからも出題された。
教室内に設置されたスピーカーから、
何かしらの曲が流れてきて、
拍子を答える問題もあったが、
何拍子だとか一切わからなかった。
今でも…やはり解けない(笑)。
そもそも、
算数の問題でも、
プールの容積の問題があったが、
「こんな底が平面でないものが…」
そう強烈に思ったものだ。
今考えると算数の応用問題だから、
見たことがない形状のプールの問題で、
容積を正確に求められるかどうか、
その学力を検査しているだけだが、
「こんなの実在しないのに…」
そう思いながら解いたものだ。
いや、解いていない。
いや、解けていない(笑)。
社会の問題にいたっては、
授業中に小5のときの先生が、
説明していた内容を、
頭を両手で抱えながら、
懸命に思い出そうとした。
試験中に1年半以上も前の、
それも(小学校の)授業内容を、
ずっと思い出そうと頑張った。
結果、それは思い出せなかった。
ハッキリと自信があるが、
思い出せなかったのではなく、
そもそもが、
習っていなかった内容だった。
本当に滑稽である。
いったいどの受験生が、
小学校の授業内容、
それも1年半以上も前のことを、
思い出しながら答案を書くのか。
前回もそうだったが、
このように追憶して自分のことを、
中学受験時の自分のことを、
客観的に書いてみて思うことは、
今現在の私が、
学習塾の塾長であるということも、
手伝っての感情になると思うが、
「かわいそうだな…」
の一言である。
小6の男の子が、
中学受験の情報も十分にないまま、
つまり、
何も知らないままに受験すると、
こういうふうな目に合う、
その典型的な例だと思う。
(続く)