情報大洪水の時代(その19)
なぜ私は宮崎大学附属中学校に、
落ちたのか?
詳細は後に明らかにするとして、
当時の記憶を述べたい。
今でもハッキリと覚えているが、
合格発表日に私は掲示板の発表、
これを見に行きたかった。
受かっている自信はなかった。
当時の受験科目には、
国算社理以外に、
音楽や家庭科などの、
いわゆる副教科もあり、
それからも出題された。
教室内に設置されたスピーカーから、
何かしらの曲が流れてきて、
拍子を答える問題もあったが、
何拍子だとか一切わからなかった。
今でも…やはり解けない(笑)。
そもそも、
算数の問題でも、
プールの容積の問題があったが、
「こんな底が平面でないものが…」
そう強烈に思ったものだ。
今考えると算数の応用問題だから、
見たことがない形状のプールの問題で、
容積を正確に求められるかどうか、
その学力を検査しているだけだが、
「こんなの実在しないのに…」
そう思いながら解いたものだ。
いや、解いていない。
いや、解けていない(笑)。
社会の問題にいたっては、
授業中に小5のときの先生が、
説明していた内容を、
頭を両手で抱えながら、
懸命に思い出そうとした。
試験中に1年半以上も前の、
それも(小学校の)授業内容を、
ずっと思い出そうと頑張った。
結果、それは思い出せなかった。
ハッキリと自信があるが、
思い出せなかったのではなく、
そもそもが、
習っていなかった内容だった。
本当に滑稽である。
いったいどの受験生が、
小学校の授業内容、
それも1年半以上も前のことを、
思い出しながら答案を書くのか。
前回もそうだったが、
このように追憶して自分のことを、
中学受験時の自分のことを、
客観的に書いてみて思うことは、
今現在の私が、
学習塾の塾長であるということも、
手伝っての感情になると思うが、
「かわいそうだな…」
の一言である。
小6の男の子が、
中学受験の情報も十分にないまま、
つまり、
何も知らないままに受験すると、
こういうふうな目に合う、
その典型的な例だと思う。
(続く)