![一木康広](/elements/miyazaki/profiles/hokutojuku/images/cache/thumbnail_l_1718962102_200_200.jpg)
- お電話での
お問い合わせ - 098-565-3364
コラム
塾長の考え(北斗塾とは)①
2024年3月11日
1989年3月。
私(=塾長)は大学に合格した。
1989年4月。
大学生になると同時に塾講師になった。
私の誕生月は4月。
23歳だった。
それから4年の歳月が過ぎた。
この4年間は塾講師とはいえアルバイト講師。
中学生に英語を集団授業にて指導した。
この4年間でいろんなことを経験できた。
学習塾とはこういうところなんだな、
それが認識できたことがもっとも大きかった。
1993年3月。
大学を卒業した。
大学を2年間通った後は、中退して、
パイロットになるべく航空大学校に進学、
これが中学3年生のときからの夢だった。
今もそうだが、
航空大学校は大学2年生のときに受験して、
合格すれば在籍している大学を2年時で終了。
本来ならば3年時の4月に当たる時期に、
晴れて入学となる。
※入学時は他の時期も選べる。
この夢を大学4年時に断念した私は、
大学卒業と同時に実業家になることを決めた。
たった1度の人生、やりたいようにやる。
そう決心したからだった。
でも、一体何をするか?
最初は不動産業を営みたいと考えた。
今は亡きおじが建築会社の社長であり、
自分が不動産業をすれば、
建築業をしている叔父と一緒に仕事ができる。
単純にそう考えたからだった。
小さいころからずっと、
私にとっては、
叔父が生き生きとしていた姿が、
ずっとまぶしかったからだ。
(ちなみに叔父は長者番付に載っていた)
おじは週3回はゴルフに通う人だった。
私はゴルフには興味がなく、
今でもまだやっていないが、
当時の趣味と言えば将棋。
今でも同じだがいつかアマチュアの中で、
トップに立ちたいと考えている。
結局私が選んだ道は学習塾の創立。
塾長になること。
自塾の生徒の成績をドンドン上げて、
宮崎県でもっとも成績の上がる塾になる。
それが新たな夢となった。
1993年3月。
北斗塾の前身である北斗秀明館が誕生。
自身の誕生日が4月8日。
この日が新学期の最初の塾の授業の日。
夢と希望に燃えて船出をした。
生徒数15名での出発だった。
(続く)
関連するコラム
- 塾長の考え(私大医学部受験)⑥ 2023-03-28
- 塾長の考え(自立型個別指導)13 2023-07-12
- 塾長の考え(国公立医学部医学科受験)2 2023-04-26
- 塾長の考え(親子関係)9 2023-05-31
- 塾長の考え(親子関係)16 2023-07-02
カテゴリから記事を探す
一木康広プロへの
お問い合わせ
マイベストプロを見た
と言うとスムーズです
勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。