塾長の考え(小6のCちゃん)【前編】
数年前から異常事態が起きている。
それは首都圏の私大医学部受験の激戦事情だ。
「国公立の大学は無理でも、
私大なら受かるよね!」
この常識がほとんど通じなくなってきたという。
「とにかく合格できないんですよ!」
そのように訴えている親御さんが増えている。
昔と明らかに違う、と。
現在は少子高齢化時代のど真ん中であり、
「大学なら全入時代だ」
とも言われている。
「大学なら選ばなければどこでも行ける」
そのように言われたりもするが、
あくまでもそれは数字上のことであって、
実際は、どこの大学でもいいわけがない。
バスや電車ならば、
「席が空いているならばそこに座ろう」
となるがそれとは話の次元が違う。
「自分の結婚相手が誰でもいい」
と(絶対に)言わないように、
「合格するならどこの大学でもいい」
と思っている生徒はほとんどいない。
東京に在住していると何もかもが、
地方と比べてみてハイレベルだ。
まさに「レベルが違う!」。
それは大学受験の事情も一緒。
小学生や中学生時代は有名な塾に通わせる。
そして有名な予備校に高1から通わせて、
成績が上がらなければ1年ごとに予備校を変える。
そんなことは常套手段。
何なら2つの予備校を掛け持ちだってさえする。
別に「浪人」しているわけではないから、
塾よりも予備校の方が信頼性があると、
信じているのでわが子の合格の可能性が、
少しでも高くなるようにと、
塾代わりに予備校に通学させているだけであり、
良くないと思えば変えるし悪いと思えばやめる。
そういうことを繰り返しても、
わが子は現役の高校生だから問題ない、
…はずだった。
「気長に待っていればそのうち受かるでしょう」
そう思って娘にはプレッシャーをかけないように、
親として気を配りつづけた、本心とは裏腹に。
数年という時は流れて、
気がつけばわが子は3浪目の受験でも失敗。
「これって本当にもう無理だ!」
そう判断したお父さん。
自分の見通しが甘かったことに今更ながら、
猛烈に反省……。
一方、娘の方はもうやる気がなくなっていた。
何年たっても合格できない自分。
周りが優しくしてくれればしてくれるほど、
自分自身に腹が立つので当然自分を責める。
「自分なんて生まれてこなかった方が良かったのでは…」
開業医だったお父さんの希望は、
わが娘が自分と同じ医者になること。
安定した生活が保障された上で、
娘には幸せになってほしかった。
父親が望むからというわけはなく、
娘もそれを心の底から望んでいた。
お父さんのようになりたい…、
とまでは(まったく)思わなくても、
(お父さんと同じ)医師という職業に就きたい。
自分の人生を自力でしっかりと歩んで行きたい、と。
しかしながら、現実はシビアだ。
幼き頃からの夢だった医師。
今、その夢をとうとうあきらめる時が来た。
(続く)