情報大洪水の時代(その18)
塾に行かなくても国公立大学(例えば九州大学)に合格する生徒がいる。
当然ながら現役で。
誰もがうらやましがるお子さん(=生徒)。
その生徒本人がどう思っているかは知らないが、
もしもその生徒が塾で指導を受けていたら九州大学ではなく、
東京大学に合格していただろうと思う。
(どこの塾でもいいというわけではないが)
別に東大の方が絶対にその子にとって九大よりも上の存在価値だとは限らない。
それでも我流で勉強するよりもプロの手を借りた方が結果はより上だろう。
100%そうだとは言わないが、それに近いと個人的には思う。
それぐらい「プロ」といものは、
知識も技術も秀でていないといけない。
どんな秀才が相手(=生徒)であっても。
「できない生徒ができるようになる場所が塾であってほしい」
そういうことを言う保護者の方にずいぶん昔に出会った。
私も塾はそういう存在であるべきだと心底思った。
弱者を助けることができなければ何の存在意義があるのだ?
そう肝に銘じて生きてきた。
現実は「できのいい生徒」を1人でも多く抱えた塾や予備校が圧倒的な支持を受ける。
なぜなら合格者数で親御さんたち(=保護者)は判断するからだ。
合格者数だけで判断するのではなく、不合格者数も考慮して判断するべきでは?
毎回毎回、この時期にそのように強く思う。
できのいい生徒を格安料金で入塾させて来年度の合格者数の見込み数を確保する。
その手法はもはや予備校の常とう手段にさえなっている。
「成績のいい友達を連れてきたら図書券をあげるからね」
そう言って自塾の生徒に営業をさせる塾もある。
当塾にも、
「成績のいい子は特待生か何かでもっと安く指導料がなるといことなら入塾しますが?」
と交渉してくる親御さんがかつては何人もいた。
(最近はほとんどそういう話にはならないが)
それが当たり前だと思っているようだった。
しかし、塾はバーゲンセールをするところではない。
教育とは生徒の将来(=未来)を創る行為だ。
格安販売するとかしないとかの問題ではない。
塾とは「大切なもの」を子どもたちに授けるところだ。
塾とはもっと清々しい場所であるべきだと思う。
●心を込めて学問をするところ。
●楽しく勉強するところ。
●自分の成長を感じるところ。
●自分の限界を押し広げていくところ。
●挑戦をすることで心を磨くところ。
塾や予備校はある意味では病院のような要素もある。
病院の受付で、
「治療費を割引するから入院(または通院)しませんか?」
「今なら病床がまだあります。(入院手続きを)お急ぎください」
そんなことを言って患者を勧誘したり扇動する病院はない。
またそんなことで患者を増やしたいと思う院長先生がいるとも思えない。
でも、医者にも腕のいい人とそうでない人がいるのは事実。
いい医者に出会うにはやはり「運」が必要である。
(続く)