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コラム

妄想のような判決

2015年3月30日

コラムカテゴリ:法律関連

 事実というのはどちらから光をあてるかで見え方が違っていたりする。
 裁判官の光のあて方で、同じ事実でも違う解釈がされてしまうということである。

交通事故で、痛みがあって通院しているにもかかわらず、「こいつは保険料が取りたいから通院してるんやな」というものの見方をしている裁判官であれば、どのように整理をしても、蹴られてしまい、被害者が救済されないことになる。
 中には、「他に原因があったと推測される」などとありもしない話し(証拠がないのであるから、このような認定をすること自体おかしいのだが)を裁判官が作り出すこともある。
 通院している場合に、「忙しい中痛みがあるからこそ通院して楽になろうとしているのだな」というように見るのと大違いである。

 数年に一度、妄想の固まりのような判決をもらうことがあるが、それはそれで判決であるので、控訴審で維持されてしまったり、それが控訴審であったりすると、最高裁に持って行ける事件などは限られているから、妄想であってもそれが確定してましまう。

 最近、裁判官のレベルも下がっているとベテラン弁護士が言っていることがあるが、もちろん優秀な人は優秀であるし、普段接する裁判官は優秀であったりする。
 しかし、優秀でない裁判官がいることもまた事実であり、裁判官の当たり外れで、その人の人生を左右するというようなことは出来るだけあってはならないであろう。

 弁護士を経験してから裁判官になる法曹一元制度はその意味で理想であろうが、個人商店である弁護士が自分の事務所をたたんで一時期裁判官になるわけにも中々行かないし、制度として中々機能していない。

 どのような裁判官に当たっても、それを主張と証拠で説得するのが弁護士の仕事といえば仕事であるが、何をどうしても理解してもらえない裁判官に当たることがあることもまた真実である。私がいつもしていることが全く通じないことがあるのである。基本的にはいい結果をもらっているとは思うのであるが。

この記事を書いたプロ

中隆志

被害者救済に取り組む法律のプロ

中隆志(中隆志法律事務所)

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