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塾ジイのBAR9 ―夏の努力が水の泡?―

久保克己

久保克己


カラン……。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
「おや、今日はお父さんじゃな」
「はい……」
「なんだか、浮かない顔じゃな。どうしたんじゃ?」
「実は、娘のことで相談がありまして」
「お嬢さんか。何かあったのか」
父親はカウンターに座ると、鞄から一枚の紙を取り出す。
「これなんです」
「……成績表じゃな」
「はい」
「なるほど……9月の模試か」
「そうなんです」
父親はため息をつく。
「夏休み、本人なりに頑張ったんですよ」
「ほう」
「塾の夏期講習にも行って、家でも勉強して……」
「それは頑張ったな」
「ところが……」
父親が、成績表を指差す。
「偏差値が下がったんです」
「……」
「どういうことでしょう?」
塾ジイは少し考えて、
「お父さん」
「はい」
「まず……」
「落ち着いて、一杯いくんじゃ。こういうときは*ダバダ火振に限る。水割りでどうじゃ?」*ダバダ火振の説明→https://www.google.com/search?q=%E3%83%80%E3%83%90%E3%83%80%E7%81%AB%E6%8C%AF&rlz=1C1GCEU_jaJP996JP996&oq=%E3%81%A0%E3%81%B0%E3%81%A0&aqs=chrome.2.69i57j0i4i512l9.4124j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8
「何か根拠があるのですか?」
「特に無い」
「なんじゃいそれ!?」
「成績表を見るときは、まず心を落ち着けるんじゃ」
「確かに……」
「偏差値が下がったからといって、お嬢さんが夏休みに頑張っていなかった、ということではないんじゃ」
「でも、数字は下がっていますよね」
「うむ。そこは事実じゃ」
「ですよね……」
「ただしじゃ…」

塾ジイがグラスを置く。

「偏差値は、自分だけで決まる数字ではないんじゃ」
「周りとの比較……ですよね?」
「その通りじゃ」
「ということは……」
「夏休みを境に、周りの受験生も本気になってくるんじゃ」
「部活動を引退した子とかですか?」
「うむ」
「あと、これまで少し様子を見ていた子とか…」
「そうじゃ。そういう子たちが、一斉に勉強を始める」
「なるほど……」
「つまり――」

塾ジイは少し笑う。

「お嬢さんが止まったんじゃなくて、周りが走り始めたんじゃ」
「……なるほど」
「徒競走で言えば、お嬢さんが歩いていたわけじゃない」
「周りが急に走り出したってことか!」
「そういうことじゃ」

父親は成績表を見る。

「なんだか、少し安心しました」
「そうじゃろ?」
「……でも、娘には『もっと頑張れ』って言ってしまいました」
「お父さん」
「はい」
「それは……」

少し間を置いて、

「今夜は反省会という名の飲み会じゃな(笑)」
「やっぱりですか!(笑)」
「それからな、お父さん」
「はい」
「9月の数字だけを見てはいかん。」
「どういうことですか?」

塾ジイがカウンターの上に指で線を描く。

「成績というものはな、点ではなく線なんじゃ」
「線……」
「9月、10月、11月……」
「はい」
「9月が少し下がっても、そのあと上がっていけばいいんじゃ」
「なるほど」
「例えばじゃ」

塾ジイが少し考える。

「D判定からC判定になった子と、B判定からC判定になった子を比べてどうじゃ?」
「同じCでも意味が違う」
「その通りじゃ!」
「……」
「だから、9月のCを見てじゃ――」

塾ジイは父親を見る。

「はい、受験終了じゃ!志望校はもう無理じゃ!!」
「いやいやいや(笑)それはあり得ない!」
「そうじゃろ?(笑)それに、もう一つあるんじゃ」
「はい。」
「ワシは成績表を『宝石箱』だと思っておる」
「宝石箱?」
「そうじゃ」
「でも……」

父親が成績表を見る。

「これ、間違いがいっぱいありますけど」
「だからこそじゃ!」
「?」
「間違えた問題の中に、これから伸びるところが隠れておる」
「つまり……」
「弱点=伸びしろじゃ」
「なるほど!」
「今はできないが…」
「でも、これからできるようになるかもしれないということか…」
「そういうことじゃ」
「……」
「だったら、間違えた問題というのはじゃ――」
「宝物?」
「その通りじゃ」
「でも、できればもっとキラキラした宝物がいい(笑)」
「それは贅沢というものじゃな(笑)」
秋からは「覚える」から「出し切る」じゃ
「そして、秋からは勉強の仕方も少し変えていくんじ」
「夏までは覚えることが中心だった。塾の宿題も暗記が多かった」
「うむ」
「秋からは?」

塾ジイがグラスを置く。

「出し切るんじゃ」
「なるほど」
「時間を計って問題を解く」
「答案を書く、採点する、そして、間違いを解き直す。過去問も使っていく」
「はい」
「つまり、インプットからアウトプットへじゃ。」
「……娘にも伝えてみます」
「ぜひ、そうしてやってほしいんじゃ」
「わかりました」
「ただ、お父さん」
「はい」
「一つだけお願いがあるんじゃ」
「なんでしょう?」
「娘さんが成績表を持って帰ってきたら……」
「はい」
「いきなり――」

塾ジイが父親の真似をする。

「偏差値下っとるやないか!なんでやねん!?」
「……」
「これは、できれば封印してほしいんじゃ(笑)」
「……はい(笑)肝に銘じます」
「今も呑んでいるのだから、肝臓には優しくした方が良いな。まずはじゃ――」

塾ジイが優しく言う。

「夏休み、よく頑張ったな。じゃあ、この結果から何をしようか?それなら、お嬢さんも一緒に考えられる。結果を責めるんじゃなくて、これからを見る姿勢を示すんじゃ」
「これからの『線』を見るんですね!」
「そうじゃ」

きさらぎの最後の一杯
父親は、成績表を鞄にしまう。

「塾ジイ」
「なんじゃ?」
「今日、ここに来てよかったです」
「それはよかった」
「帰ったら娘に言ってみます」
「何て言うんじゃ?」

父親は少し考えて、

「夏休み、よく頑張ったな」
「うん」
「それから……」
「うむ」
「じゃあ、この結果から何をしようか?」

塾ジイはニッコリ笑う。

「それで十分じゃ」
父親が立ち上がる。
「ありがとうございました!僕も朝までにアルコールを出し切ります!」
「それは無理じゃ。まあ、気を付けて。また結果を教えてくれ」

カラン……。

扉が閉まる。
塾ジイはグラスを磨きながら、ぽつり。
「9月の偏差値は、まだ夏の答じゃない」

そして、もう一言

「答え合わせは、まだまだ先でいいんじゃ」
――今夜も、きさらぎは静かに灯りをともしています。

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久保克己(塾講師)

株式会社京進

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