心配する側になって
まだまだ続くような気がしていたけど、ロンドンオリンピック閉幕。
選手たちのいろんな場面が浮かぶ。
様々なプレーの瞬間、表情、コメント・・・
たくさんのコトが記憶に残る。
「記録に残るより、記憶に残る選手に・・・」
とかなんとか、昔だれかが言ったようだけれど、
実際、どれだけの記録を残したのかとか、何対なんぼで勝敗したとかは
すでにもう、私の記憶にはまったく残っていない。
それよりも やはり、選手一人一人の取り組みや、生きざまが
そのままダイレクトに伝わるようなところに、記憶装置が反応する。
選手たちは、全く次元が違うところでの活躍だけれど、
また、自分も日々の暮らしを一生懸命にしようと、
自分がやるべきことをしっかりやろうと、
爽やかに、フレッシュな、やる気が満ちた。(暑いけど・・・単純なので・・・)
それはそうと、昨晩みた、新体操団体、フェアリージャパン
オリンピックのどんな種目も実際に自分ができると思えることは無いのだけれど、
あの、新体操の団体競技だけは、ぜったい絶対に出来ない・・・と確信している。
なんであんなことができるのか、不思議で仕方なかった。
しかも、TVを見ているだけなのに、どこをどう目で追ったらいいのかわからず、
全体の動きを見ることすらできない・・・(重症)
私は、基本的に一つのことしかできないし、
モノも二つ以上持つと、ひとつがおろそかになり、よく行方不明になる・・・
動きながら、リボンやフープを投げたり受けたりしながら、
さらに全体としての配置通りに移動して、タイミングやらも合わせて
一糸乱れぬ・・・演技が行われ・・・すごすぎる・・・
人の素晴らしさ、
本当に心から「きれいだな」と、たくさんたくさん思った。
「ありがとう!!」