心配する側になって
何気なく 悪気なく、するんと出た言葉だとわかってて、
なのに なんでかな・・・笑い飛ばせなくて、ひっかかって、
そのくせ その場ですぐに、「なにそれ」って、絡むこともせず・・・
ひっかかったのは、その言葉“だけ”の“せい”ではないから。
要は、その時の自分の心理状態の問題? 度量の問題・・・かな。
・・・と思ったら、落ち込む。
昔読んだ本に、
「・・・人から傷つけられることは、本当には無い。自ら傷つくのだ・・・」
というようなのがあった。
実際、世の中にはいろんな悪意があって、いじめやいろいろ
けっして自らが望んでなんかいなくても、傷つくことがある。
けれど、昨日は、この「自ら傷つく」というのが、自分のことに思えた。
その時は、いっぱいいっぱいで、ちょっとつついただけで
勝手に感情があふれて流れてしまった・・・・と言う状況だけれど、
突き放してみると、わかる。
こうして、文字にして書いていると、さらにみえる。
どんなに本を読んだとしても、TVや映画や、シミユレーションをしても
直接の、人と人との関わりの中でしか気づけない、見えない“自分”というのがある。
そんな“自分”にとまどうし、そんな“自分”は好きでなかったり、
もうちょっとマシな“自分”だと思っていたのが、愕然となったりもする。
今さらだけれど、ホントに、一人では生きていない。
一人では生きれない・・・と思う。
落ち込んだ先に、突き放した先に、ちょっとの希望をもって
まだ未知な“自分”との出会いも 受け止められるようになりたい。
できれば、未知な”自分”が 好きだと思える”自分”であるように できる努力をしたい。
相手の中にある いろんな部分も まっすぐに受け止められるように なりたい。
相変わらず、落ち込んでは、ちょっと 殊勝な気持ちになっている。
でこぼこの道。
ぼちぼちの道。
歩くと決めた道。