兄妹
昨日、友人のお通夜に参列してきた。
“友人葬”という形式だそう。
本当にたくさんの人で、一番後ろの隅っこで手を合わさせてもらった。
お通夜が進む中、娘さんの姿をずっと目で追っていた。
今の自分の状況からか、なんかどんどん娘さんに気持ちが添ってしまって、
気丈にというより、こうして来てくれている人に、
本当に来てくれてうれしい、ありがとうというように、
笑顔を向けている姿から 目が離せなくなった。
友人は、ずっと体調はすぐれなかったのに、元々病院嫌いで、
ようやく先月受診すると、すぐに入院。
それからはあっという間だった という。
4日前からはもうしゃべれなくなったけれど、それまではいっぱいしゃべっていた。
お医者さんからは末期ときいた。
それでも治療が始まったら治るんちがうか~と思っていた・・・と娘さんはいう。
今はまだ 実感がないのがホント。
けど、明るくて、とにかく人を笑わせるのが好きな母だから、
今も、そこらで、あ~○○さん、久し振りやん~
あんた老けたな~ とか言って笑っている気がする・・・・という。
逝ったことの悲しみを共有するよりも、
一緒に過ごしてくれた時のことを思い出してもらって、
知らないことを教えてもらって、
「こんなん言ったら、あ~言うで」「こ~言うで」と
今も居るように笑ってもらうほうがうれしい・・・という想いが伝わってきた。
すごいな~と 思った。
その娘さんをみてて、ホントに友人の人生が
もちろん辛い事やらいっぱいあったのも知っているけれど
とても豊かやったんやと、心から思った。
産まれつき、足が不自由な友人だった。
これからはもう、どこへでもいける。
娘さんはじめ家族や、たくさんの友達の心の中に ぴょんぴょん登場するやろうな。
あの大笑いを思い出したら、こっちもすぐに笑顔になれるから。
出会えてよかった、
ほんとうにありがとう。
なんか、私の心の中のユラユラが 納まるところを見つけて
安心してどっしりと居座った・・・というような気がしている。
いつかはわからないけれど、いつか必ずおとずれる、
大切な人の死に直面しても、そのどっしり居着いた大モノが
大丈夫やと 笑ってよな と言ってくれる気がする。