心配する側になって
昨日、初めての「乳がん検診」に行ってきた。
3年前に“国民健康保険”になってからは、
自己責任で受診しないといけない「特定健診」も、
昨年は気づけば期間が過ぎていて受けてないまま・・・
今回は、特定健診のほかに、乳がん検診の「無料クーポン」も届いたので、
すぐに申し込んだ。
昼下がりの検診車はガラガラで、受診者は私一人。
テキパキ指図されて、言われるままに、あっちむいて、こっちむいてむぎゅ~とされて、
とても痛いのに、自分の姿がなんかおかしくて、不謹慎ながら、必死で笑いをこらえた・・・
あっという間に終了。
結果は、2週間程でということでした。
笑いごとではないです。
早期発見の重要性は、いうまでもない。
いつもイトコから、「検診をちゃんと受けて、自分でできる対策はしないと!」と
ずっとずっと言われている。
ないがしろにしているのでも、うっかりしているのでもないけれど
やっぱりどこかで、「自分は大丈夫」という思い込みがあるのだろう。
あれだけの大病をしておきながら、今もなんの根拠もないのに。
今回、検診を受ける気になったのは、
やっぱり一番は母のこと。
母より先には死ねないと、思うので。
今の世の中、不慮の事故はどこにでもあるし、どんなに願っても
叶わないことはいくらでもあるけれど、
上述の、「自分でできる対策はしないと!」というのが、実感としてズシンときた。
今朝、友人の訃報が届いた。
今晩がお通夜。
詳しい情報はないので、何もわからないけれど、
近い歳での死が、胸にささる。
何歳ならいいのか、ということなんかじゃないけど。
以前に訪問した、96歳のAさんが、
「もう誰も 見送りたくない・・・」と言っていたのを思い出した。
すべてわかっていて、取り残される悲しさ。
もしも今、私が突然いなくなっても、母にはそのことももうわからないやろうな。
考えなくていいことが 頭に浮かぶ。
なにはともあれ、最低限の自分でできる対策をして、
母を、父を ちゃんと送れるように。
七夕の短冊に書くとしたら、これかな。