いよいよ夏野菜
昨日の節電に関して、もう少し。
電気をつくるということについて。
苦手だった物理だけれど、ちょっと思いだしても、
運動エネルギーに、位置エネルギー などと習った気がする。
あらゆるものが持つ(出す?起こす?)エネルギーから電気を創りだせたらいいのに・・・
と、素人考えでいろいろ思う。
震災当時、ぐるぐる巻きのラジオをずっと使っていた。
ぐるぐる回す力。
地団太や、ペダルこぎの力(東京ふれんどパークのアトラクションのように)。
貧乏ゆすり、くしゃみのエネルギー・・・・人力バージョンをいろいろ考えている。
この前TVでも、
車の通行で道路が振動するエネルギーを発電に使う・・・というようなのをやっていた。
自然のエネルギーもたくさんある。
落差があるモノ、動いているモノ、熱をもつもの・・・
雨、雷、台風、波、地震、火事、マグマ・・・
当然エライ人達が ちゃんともう考えていろいろやっているにちがいないと思っている。
小さいころに、アニメや本で見た未来の世界に
近づいたこともあれば、全く実現していないこともたくさんある。
現実として、無理なことももちろんあるだろうけれど
しかし、ハヤブサくんは、ちゃんと行って還ってきた。
(いつもながら 話が飛んでスミマセン・・・)
持ち帰ったイトカワの微粒子の分析から、その微粒子ができたのは、
45億6800万年前とされる太陽系誕生から 630万年後以降であると
みられることが分かったという。
科学技術の進歩、現実にできることへの期待の基準は、
当然(?)一気にハヤブサくんのレベルまで上がってしまう。
話がぶっ飛びついでに もうひとつ
どうしても実現してほしいものがある。
子供のころ、誰もが(?)なじんで フツーに(?)日常でも使っていた、
あの素晴らしいヤツ。
「バ~リア」・・・である。
(諸説いろいろあるやろうけど)うちらは人差し指と中指をクロスさせて、
体の前で弧を描きながら、「バ~リアッ!!」と言うと、
もう周りには何も近づけないし、もし 鬼ごっこでタッチされても
当たっていないことになった。
両手でやると、威力倍増・・・・ということになっていた・・・・
(ちなみに、もう少しスケールダウンしたバージョンでは、
「み~」「みっち~(みっき~?)」などというのもあったけど。)
実現してほしいのは、この「透明バリア」である。
音を使ったバリアの話を、ある程度大きくなってから読んだこともある。
人間の聴力では聞き取れない音の力によって、跳ね返される。
あらゆる無機化合物は、結合が破壊され木端微塵になるが
有機化合物には影響がない・・・・ というようなことだったはず。
(たしか、「創竜伝」です・・・・記憶がねつ造されていたらスミマセン)
えっと、だから・・・そうそう
科学技術がどういう方向に進むかで、描く未来が変わるということ。
人類の選択。
昨晩の金曜ロードショーでやっていた「地球が静止する日」が
1951年のリメイクだと知って、さらにその思いが強くなった。
どれだけ前から忠告があっても、
映画、書物あらゆるところで いろんな未来を描いて訴えても、
変わらずに、変えずに、ここまできてしまっている現実。
節電の話からだけど、
その“選択”の責任が、わかりやすい形で
今、個人のレベルにまで降りて来ていると思った。
ヒツヨウナコト、守るベキコト、手放すベキコト
誰かの、何かの“せい”にするのでなく、
自分でしっかり“選択”すること。
責任の一端は、個人のレベルに あると思えた。