人を傷つけるのは
このコラムで 自分のことのみならず、家族を含めた面々のことを
あまりにあからさまになんでも書いてしまっている・・・と少々反省するのですが、
今日も父のこと。
部分的にはとても几帳面な父だが
自分がどうでもいいと思うことに関しては 全く無頓着。(これぞB型か・・・)
今朝は、病院と散髪に行きたい~と、早くから出かけて行った。
通りすがりにのぞいた部屋は、箪笥の引き出しがあきっぱなし。
閉めようにも 服があふれていてしまらない。
母は、“Eテレ”のテレビ絵本を熱心に見ている。
以前から、このいっつも中途半端にあきっぱなしの引き出しをなんとかしたいと思っていたので
思い切って、中身を全部出した。
上から下まで5段ほど。
“たたむ”ということが 苦手なのかきらいなのか、
丸めて放り込まれてぐちゃぐちゃになった衣類の山。
地道に一枚ずつ、たたんでなおした。
余裕のスカスカで全部きっちり納まった。
さっき父からメール。
「タンスの引き出し片づけてくれてありがとう」
「同じ種類のを同じとこに たたんで入れただけ」と返したら
「その通りです」やって・・・
我が家は、母も昔から片付けが苦手なタイプ。
(ボーっとはしていてもやはりこんなところは、性悪の“女目線”でチェックしている子共でした。)
しかし、自分ができるかは別のこととして、正しい片づけ方というか、掃除の仕方などを
4、5歳ぐらいに わりかしきっちり教え込まれた覚えがある。
毎日の山の様な洗濯物。(母は洗濯好きだった。というか、そこは変に清潔志向)
ハンカチから タオル、シャツやセーター、靴下・・・
一つひとつ 時間をかけて 一緒にたたんだ。
掃除機も、敷居にほこりがたまるのを 襖を少し持ち上げて吸い取ることとか
網戸や窓のサンも、私が掃除機をかけるたび 細かく指導が入った。
(いっつもやってないやん~~と 少しは思っていた・・・)
おかげかどうかはわからないけれど、
私は 掃除、片づけが嫌いではない。
前にも書いたけど、横着者なので、ためてまとめてガ~ッとするのがいやなので
同じ物は同じところへ。
出したらしまう を一応日々実践している。
そういえば、母の認知症が 顕著になってきたと思えたのは、
今までに増して“片づけられない~”が目立ったことだった。
おと~さん 頼むわ。
“無頓着”で済んでいるうちに、少しは“たたむ”ことも覚えてください。