沁みついて
今日は、幼馴染のみっちゃんの誕生日。
自分の時には、歳そのものについてはあまり何も思わなかったのに、
みっちゃんが45歳になる・・・と思うと、
改めて、そうか自分も45なんやと しみじみしました。
同級生を見渡すと、受験生を抱えているのが多いなあ
最近の晩婚化の影響(?)か、まだ子共が小さいのも、新婚ホヤホヤも
同じく独身なのも たくさんいる。(男女とも)
今まで生きてきた倍を生きるのが、当り前とはもう思える歳ではないので
そうなると、残りの方が確実に少ないということ。
この残り、どんな人生になるんかな。
上述のように 同じ身近な45歳でも ほんとに多様な生活状況にある。
経済的なことや 親、家族、自身の健康などなど
なにもかもが 本当にとても“個人的”なこと。
今まで以上に 人と比べたり、世間一般の安心に乗っかることが
何の役にも立たないと 思える。
この前ちらっと書いた、「気がつけばドッキョロージン」という本ですが、
その すごく“個人的”な生活を、サラっと カラっと生きている、
日常の持つ力 というか、不思議に 読んでいて 気持ちが軽くなります。
さらっと生きるその生活資金はどうなっているのか・・・などの
生々しいことは 敢えて(と思われた)取り上げていない。
もちろん、現実に老後を迎えたなら、資金も住処も、よりどころも いろいろ心配の種はたくさんある。
けど、ほんと このコラムでもよく書いているけれど(書いて自分を押し上げている)
未来は今日の積み重ね。
歳をとったからといって、自然に人間が出来てくるわけでも”大人”になれるわけでもない。
(なりたいとも もうあんまり思わないし)
それより今、目の前にある問題一つひとつにどう向き合って乗り越えて行くか。
日常の中での ある種の”覚悟”というのは、何歳であっても 持っておくものだと思う。
その上で 同じ一日なら、笑えたほうがいいし、心がほんわりしたほうがいい。
「気がつけば・・・」というように、余計な恐れや構え無く
ほんとに ふとしたある日、「おやおや私(独居)老人かも・・・」と
思えるぐらいが いいなあ と思った。
“45”
この字面は なかなか かっこいい。
ちょっと背中伸ばして、どっちにも歩いて行けるような感じ。
いい歳にしようね。