桜の写メ
もらった誕生日カードに、
「“愛”とは 理解すること」と あった。
何度も読んだ。
“理解する”ということが、どういうことなのか、
考えても、その本当に伝えたいことが 受けとれるかは わからないけれど、
なんというか、そう、“愛”いうものが、少し近くに感じられた気がした。
親が子を思う愛。
その無条件の愛、
無条件にただ受け入れるという“愛”が
大きすぎて、怖くすら感じて、
さんざん今までもらってきて
当り前のように 感謝すら忘れて
垂れ流していたかもしれず・・・・
後悔して、せめて今からでも遅くないと言い聞かせて
それでも 同じように親を愛することが
ぜんぜんできてないし、わからない・・・
「無条件に」と言うことが とてつもなく高いハードルになる・・・
そうなると、ただ“愛”そのものも、とても困難で
取扱注意な危険物のように思えてしまって、
私は、近づいたらあかん・・・
そんな資格は ない・・・
自分の心に“愛”が居心地良く納まることが ないような気がしてた。
アニメ「ハウルの動く城」、ハウルのセリフ
「僕はもうじゅうぶん逃げた。ようやく守らなければならない者ができたんだ」
その想いが、心が愛なんだと 思えた。
「理解しよう」とするその想いが、少しずつでも愛に近づくなら
なんとか やれるかもしれないと思った。
もう少し、心を広げて、軽やかに
そんな歳にします。
ありがとう♡