桜の写メ
なかなか解決しない相談ごとと日々格闘している中で、
気づけばまたまた罠にはまっている。
(この言葉を使うこと自体すでにズルイなあ)
「こうした方がいいのに」と思ってしまう。
正解なんてないのに、問題を解いて答を出すように 取り組んでしまう。
という罠。(敢えて 罠 と言おう)
相手があること。
当たり前はないこと。
変えられない生活様式もあること。
わかっているのに。
そのことを大事にして 向き合うために この仕事の形を選んだのに。
「一生忘れない」と思った、自分の枷 というか 刺を 今思い出した。
(ほんまになんてお気楽に軽く日々生きてるんやろうと また愕然とする。)
私が寝たきりやった時で、 かなり急激に再発がおこり衰弱していってた時に、
しょっちゅう部屋をのぞいて励ましてくれたお姉さんがいた。
お父さんが同じ病棟に入院していて そのお見舞いの度に。
遺伝性の難病で お姉さんにも兆候が出かけていた時期だった。
枕元で 好きな本や食べ物、京都の美味しい甘味処の話やらをいっぱいしながら、
元気になったら一緒に行こうねと言ってくれていた。
それから四年。
私が歩けるようになって お姉さんの近所まで遊びに行った。
待ち合わせ場所で、歩いて車を降りた私。
お姉さんは車の中。
降りてはこなかった。
もう 一人では降りれなくなっていた。
うつむいて泣いてはった。
立ち尽くした。
そばまで いけなかった。
おばさんが「 元気になってよかったね」と言って下さった。
もちろんお姉さんも そう思ってくれたのは本当。
けど、回復の昇りグラフと、進行の下りグラフが ちょうど すれ違った現実。
その事実が人を傷つけた ということ。
傲慢からでも 不遜からでもなかったけど、
立って歩いた私のその姿が突き付けた現実。
ただただ悲しかった。
会わなかったらよかったと思った。
母に、「あんたが泣いたらあかん」と言われた。
なんとかこらえて 手を振った。
理屈ではなく、あのお姉さんの横顔を一生忘れない、忘れたらあかんと 強く強く思った。
そこからのすべてが、今につながる。
同じところでまだぐるぐるしている。
けど、ちゃんと顔をあげよう。
だからこそ、私の進む道を 歩くんや。