なぜ人は邪道でお金を稼ぎたくなってしまうのか

小松茂樹

小松茂樹

テーマ:スキル・心構え



平常心でいられないとき、人は邪道に走りやすくなる


ビジネスの世界では「正しいやり方」で稼ぐことの重要性がよく語られますが、現実にはそう簡単にいかない場面も多く存在します。平常心を保てる余裕があれば、多くの人は正しい道を選べるかもしれません。

しかし実際には、強いストレスやプレッシャーにさらされているとき、予定していた売上が立たなくなったとき、急な資金難に陥ったときなど、人は自分の正しさやルールを簡単に手放してしまうことがあります。焦りや追い詰められた状況では、冷静な判断力が働かなくなり、「一度だけ」「今だけは…」という誘惑に負けてしまうのです。

そもそも「強さ」と「優しさ」は表裏一体です。相手に優しくするには、強くある必要があります。自分に余裕がないと、他人に優しくしたくてもできません。

ビジネスシーンで言えば、強さとは業績が好調であること、財務が盤石であること、組織が健全であることです。こうした企業でなければ、顧客に優良なサービスを提供したり、従業員満足度の高い組織を形成することは困難です。

一方、強さだけが突出して優しさを欠いてしまう場合もあります。スキルや能力と人間性はまったく別の話です。私は研修講師をしておりますが、リーダーシップ研修やマネジメント研修、問題解決研修など、スキルを伸ばしたいというオファーは数多くいただきます。

しかし、「人間性を高めて欲しい」というオファーをいただくことはありません。企業は従業員のスキルアップには投資をしますが、人間性は従業員の自己責任に委ねているのが実情です。

だからこそ、自分の仕事に対する美意識や倫理観を高め、「清く、正しく、美しく儲ける」ことを、意識していく必要があるのです。

「正しく仕事をする」ことは損なのか


コンプライアンス研修などでは、「これをやってはいけない」「あれをしてはいけない」という禁止事項ばかりが強調されることが多いものです。こうした「北風作戦」だけでは、人のモチベーションは上がりません。正しく仕事をすることの「尊さ」や「美意識」を自分の中に持てるかどうかが、現代のビジネスパーソンには問われています。

「正しいことをしていたら稼げない」「法令を守っていたら会社が成り立たない」と考える人もいます。例えば、労働基準法の残業規制。「そんなの守ってたら、仕事が回らない」という声を耳にすることもあるでしょう。そう考える人は「労働時間を長くすることでしか稼げない」と決めつけてしまっていると言えます。

しかし、法律を遵守した上で成果を上げるならば、本来は、限られた時間の中で成果を高めるための創意工夫が求められるはずです。知識やスキルを高めて、従来のやり方を改善したり、新しい方法を模索したりする。それが本来あるべき姿です。

なぜ、正しい道ではなく「邪道」に走りたくなってしまうのか。その根本には、日本人の価値観に深く刷り込まれてきた「清貧(せいひん)」という言葉が影響していると考えます。「お金より心が大事」「お金儲けは良くないこと」というイメージです。しかし、本来「心が清いこと」と「貧しいこと」はまったく関係ありません。

「清く貧しく」は本当に美徳なのか?


「清貧」という考え方は、「悪いことをして稼ぐ大人になってはいけない」という反面教師から生まれてきたものではないかと考えます。よくよく考えてみれば、「清い」「穢れ」と「富んでいる」「貧しい」はまったく別の話であり、因果も連動もありません。

したがって、お金を稼ぐこと自体が悪いのではなく、「悪いことをしてお金を稼ぐ」ことこそが、本当の問題だと言えます。にもかかわらず、「お金を稼ぐこと=悪いこと」というイメージが、長い歴史の中で日本社会に染み付いてしまったように思います。「清貧」という言葉はその表れです。

この「正しさ」と「お金」の誤ったイメージが、現代でもビジネスの現場に影響を与えていると考えます。「正しい仕事をしても報われない」「ルールを守っていると損をする」と感じる人が、つい安易な「邪道」に流れてしまうのです。

私は、こうした「清く貧しい」とは対局の、ずるくて悪いことをしてお金を稼ぐ人たちを「穢富(わいふ)」と呼んでいます(造語です)。「清い」の反対は「穢れ」、「貧」の反対は「富」ですが、この二つは本来、結びつく必要のないものです。

しかし現実には、中間搾取や構造的不公平によって、本来受け取るべき利益が現場に届かず、上流や中抜き業者が多くの利益を得てしまう、という構造が見られます。

中間搾取・転売ヤーにみる「邪道」の構造


例えば、建設業界では実際に施工をしている人たちよりも、仲介業者が大きな利益を得ているという現実があります。政府から大企業へ、大企業から子会社へ、さらに孫請け・ひ孫請けへと、発注が次々に下ろされていく中で、現場で実際に汗を流す人たちには、わずかな報酬しか残りません。

IT業界でも同様に、階層構造で仕事が卸されていき、実際にプログラムを書いているフリーランスの技術者には、時給換算すると1,000〜2,000円程度にしかならないような報酬しか届かないケースがあります。その一方で、元請けや仲介業者がその10倍程度の報酬を得ている場合があります。

必ずしもこうした構造自体が悪いのではなく、対価に見合う適正な価値創出がそれぞれの階層で行われていれば問題はありません。

しかし、対価に見合う価値を提供せず、立場を利用して分不相応の報酬を「中抜き」する構造になれば、貧富の差は拡大する一方ですし、やがては実際に「実務」をする人がいなくなり、管理する人ばかりが飽和する歪な業界構造になってしまいます。

また、最近で言えば「転売ヤー」も、邪道の典型例として挙げられます。例えば、人気のゲーム機やキャラクターグッズを転売ヤーが市場から買い占め、価格を釣り上げて売る。

これは、市場の需給バランスを意図的に歪め、消費者が受け取るべき価値よりもはるかに高い金額を払わせて不当な利益を得る行為です。こうしたやり方は、まさに「お金を稼ぐ=悪いこと」というイメージを助長してしまう要因となります。

なぜ人は「邪道」に惹かれるのか


なぜ、人はこうした「邪道」に走ってしまいがちになるのでしょうか。それは、「能力がなくても稼げてしまう」からです。コツコツと知識やスキルを磨いて正しく稼ぐためには、時間も努力も必要になります。しかし、利権構造や転売で稼ぐのには知恵も努力も要りません。邪の道に行けば、短期的にはラクして稼げてしまうのです。

利権や既得権益、コネクションを利用することで、正面から勝負しなくても安易に稼げてしまう現実があるため、正攻法で稼ぐための創意工夫や努力を重ねるプロセスに耐えられず、楽な道に逃げてしまうのです。

しかし、それでは長い目で見て、社会的な信用や人間としての成長は得られません。正攻法で勝つには本物の強さが必要であり、強さを身につけるためには時間や努力を要します。しかし、その末に培った強さは簡単には失いません。簡単に手に入るものほど、失うのも一瞬です。邪道は長くは続かないのです。

「清く正しく美しく儲ける」ために


「清く正しく美しく儲ける」ためには、能力と人間性の両方を磨き続けることが欠かせません。経営知識やビジネススキルを習得することと合わせて、正しい倫理観や美意識を身につけて人間性も高め続けようとすることです。その先に、心が清くてお金も得ることのできる「清富(せいふ)」という生き方が可能になるのです。

どんなに能力が高くても、人間性を磨く努力を怠れば、つい安易な邪道に流されてしまいます。だからこそ、「正しいことをして勝つ」ための強さを身につけ、人としての美意識や誇りを保つ努力を重ねることが求められます。

邪道で稼ぐ。それは誰にでも起こりうる誘惑です。正しい道を貫くには、相応の強さと覚悟、そして日々の努力が必要です。スキルアップや能力開発とともに、自分自身の人間性にも目を向け、絶えず磨き続けていくこと。これこそが、人としての「美しさ」ではないかと私は考えます。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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