英語教育が行き着く先
展示会の会場で
約2週間ほどまでに神戸市内で展示会があり、昨年に続いて弊社も出展しました。
この展示会は例年地元の高校や工業高等専門学校の生徒さんが多数来場します。
2日間で30人くらいの生徒さんに来ていただたでしょうか?
理科系志望者がほとんど
生徒さんに弊社の事業説明を長々としても仕方がないので、興味のありそうな話をすることにしました。
偶然なのかもしれませんが、高校は県下でも有数の進学校、しかも理科系志望者がほとんどでした。
もっとも、『化学研究所』という看板を掲げている以上、足を止めるのは『理科系志望者』と考える方が自然ではありますが…
昨年も同じような傾向でしたが、いわゆる『リケジョ』と呼ばれる女子生徒は考えも明確でした。全員が大学進学希望で二人ほど『医学部医学科志望』とハッキリ言っていましたし、『農学部』『薬学部』など、いろいろでした。
一方、工業高等専門学校は一応全員が理科系技術系です。そして全員が大学編入希望ということでした。
てなことで、やって来た生徒さんに、質問をしながら、会話を楽しみました。特に以下3つの質問についてに話を絞ります。
まず、全員、正解を出すことも、答を発することもできませんでした。
(1) なぜ大学に行くの?
この質問には『正解』はありません。
各自思っていることを言えば済むだけのことです。
しかしながら、物の見事に誰一人答えることができませんでした。
もっとも、かくいう私自身も数十年前に答えることができたか?と言えば怪しいですが…
ただ、実際に生徒さんに聞いてみると、『大学に行け』と漫然と言われるものの、『なぜ大学に行くのか?』については、これまで遭遇することはなかったみたいです。
そこで、仮に理科系道を歩むとすれば、『目的意識をしっかり持つ』『常に物事に疑問を持ち、考えることが大切』とか話したところ、生徒さんたちは非常に納得していました。
(2) 最も重要な科目は?
最も重要な科目について尋ねました。あくまでも私が考えている『最も重要な科目』で、世間様がどうの?ではありません。
そして、私は『国語』その中でも『現代文』と考えております。
これは知り合いの大学関係者も
我々研究者は、理系のように見えて、最後は「物書き」屋でないと食っていけません。教員として年を経るにつれ、「国語」の重要性を痛感します。英語も、国語力あっての英語力です。
と述べており、意見も一致しております。
(選択式と記述式)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5200992/
ちなみに『国語』と答えた生徒さんは一人もいませんでした。
(3) 現代文の問題で必ず出る配点の高い問題は?
国語繋がりです。
答は『結局のところ、作者が言いたかったことは何か?次の中から選べ』です。
よくよく考えれば、なぜ国語の試験をするか?と言えば、コミュニケーション力と申しますか、言っていることが何か?がわかるかどうかを測定しているので、少し考えればわかるはずです。
ただ、この手の問題、解き方があります。
『選択肢を見ないで、自力で考えてから選択肢を見る』のが鉄則です。
先に選択肢を見ると翻弄されてしまい、出題者の罠にはまってしまうからです。
そして、選択肢の作り方にもパターンがあると言われています。
選択肢が五つだったとします。そのうち、三つは明らかに間違った答です。もっとも、これを選んでいる間はかなりヤバく、いわゆる『顔を洗って出直して来い!』状態です。なぜこのようなナンセンスな選択肢を設けるか?ですが、そもそも大学に入るだけの学力のない人やサイコロを振って答案を仕上げようとする不届き者を落とすためと考えられます。
厄介なのは残りの二つで、一つは正解です。ところが、もう一つは正解に限りなく近いが、微妙に違っていて、不正解というものです。この引っ掛け問題に翻弄されることが非常に多いそうです。
その対策として、まずは自分で考え、それから選択肢を見る、非常に有効な方法であることは私自身も経験済みです。
これと同じ現象が『アレクサンドラ構文』としても知られています。
(正しくても伝わらない文章とは?-アレクサンドラ構文から考える-)
https://4-ten.jp/2074/
テキを知る
てなことで、生徒さんたちは『学校でも塾でも教えてもらったことが無い話を聞いて、楽しかった!』と喜んでいました。
しからば、なぜこのような現象が起きたのでしょうか?
それは『テキを知る』発想がない、あるいはその手段がない、ということではないか?と考えます。
まず、『テキを知る』についてですが、『数学受験術指南(中公新書⇒中公文庫)』に書かれています。
試験のひつとのコツは、採点者の気持ちになることだ。答案作製者の立場ではなく、答案採点者の立場から、答案を見ることだ。
それで、何より、テキを知ることが、必要である。
さしあたり、答案というものは、採点者がその答案答案の筋をたどりやすいように書く、というのが鉄則だろう。なにより、しれは他人に読ますものだ。自分のために書く日記ではないのだ。

ただ、補足しますと、『答案作製者の立場ではなく』とありますが、実は『答案作製者』の意図も重要と考えます。
答案作製者は『どういう学生に入学して欲しいか?』を考えながら、問題を作っているからです。
高校で教えない理由?
しからば、大学入試を突破するには、大学の教員というものが、どういう人種であるか?を知るのが近道と言えます。
ところが、それを知ることは容易ではないと考えます。
もちろん、私の能力不足は否めませんが、大学院博士課程を修了したぐらいでは、あまり良くわかっておりませんでした。
その後、様々な場所で研究開発に携わり、学会などにも参加し、知り合いの大学関係者と数多くの話をすることで、ようやく少しはわかったかな?ぐらいです。
そんな『テキを知る』ことを、ほとんどが学部卒の高校の先生に期待しても難しいのではないか?と考えます。
その一方で、かつて通っていた予備校は事情が異なっていました。そこに居た予備校講師のほとんどが『学者になり損ねた人』だったからです。
何年もオーバードクターをしたけど、夢破れて予備校の講師をしている人が何人もいました。そうなりますと、『大学の教員が何を求めているか?ぐらいはわかっている』ということになるからです。



