「中立」という幻想 ~メディア編~
普通とは?
みなさん、「普通」という言葉はよく使うと思いますが、あらためて「普通ってなんだろう?」と考えてみたことはありますか?
辞書で調べると「ありふれている」「一般的」「普段」といった言葉がでてきます。イメージとしては、みなさんもあまり変わらないでしょうか。
しかしこの「普通」という言葉、使い方次第でいろいろな意味を持つことになります。
例えば、子どもに何かを教えようとして説明するとき。
「普通はこうするんだよ。」
これは特に間違いということはありません。
「普通」の本来の意味は、「多くの場合はこうすることが多い」という説明でしかないはずです。
普通でなければいけませんか?
なのに、言い方や状況次第では「みんながそうなんだから、こうしなければならない」と、暗に強制しているように聞こえなくもありません。
大人の世界でも「普通はそんなことしない」などと言われれば、間違ったことをしているかのような印象を受けてしまうのではないでしょうか。
このように、普通という言葉は、本来は評価や価値観を表している言葉ではないはずなのに、言い方や状況次第で評価や価値観を含んだ言葉になってしまいかねないものなのです。
価値観の強制ではないか
こうした「言い方や状況次第」という言葉は、「普通」に限らず、他にもいくつもあります。
そのいずれにも共通するのは「幅広い意味を持つ抽象的な言葉」だということです。
抽象的であるために、いろいろな意味を含ませやすいわけです。
ですから、言い方や状況次第で発言する人に都合のいいように使うことのできる言葉ともいえるかもしれません。
普通は普通であり、例外は当然あります。普通の方が常に正しいなどと決まっているわけではありません。
言葉に騙されないよう、物事は本質的に考えたいものです。