騙されているかもしれないということ
以前、「広報」について、「広報とは伝達する相手との相互理解であり、伝達する相手に自分を理解してもらうものである」ということを書きました。
広報というと多数の人への伝達手段のように思えますが、実はこの広報の考え方は、1対1のコミュニケーションでもそのまま通用するものだと思います。
人はみな違うものだという理解が大切
当たり前のことですが、人間は一人一人違います。
生まれ持った才能も違うでしょうし、生育環境が違えば、双子のような同じDNAの持ち主であっても違う成長をするでしょう。
そうなれば、同じ物事を体験しても、その感想も違えば、そもそもその体験を覚えているかどうかも違ってくるかもしれません。
人間が一人ひとり違うものだとすれば、ある出来事についてあなたが思ったり感じたことは、あなたと同じように相手が思ったり感じたりしていない可能性がある、ということになります。
にもかかわらず、あなたが「相手も同じように思っているはず、感じているはず」と思って会話を始めたら・・・どうなるでしょうか?相手が自分の話をわかってくれないと感じるようになってしまうのではないでしょうか。
「普通」こうなる「はず」という感覚が危険
人間である以上こんなことわかる「はず」という感覚。
普通こうなる「はず」という感覚。
この「はず」という言葉が、人と人とのコミュニケーションにおいてはむしろ障害になってしまうのではないかと思います。
人間は一人ひとり違うということ、違う中から共通点を探すこと、違うところは違うと意識すること。
そうした意識を持ちながら、相手に自分のことをわかってもらえるように、自分が伝えたいことをそのまま話すのではなく、「自分とは違う存在である相手がわかってくれるように」伝達することを意識することが大切なのだと思います。
コミュニケーションの場面でなかなか相手に伝わらないと感じたら、その伝え方では相手に伝わっていないかもしれないと考え、伝え方を変える工夫をしてみるとよいのではないかと思います。
とはいえ、かくいう私も必ず実現できているわけではありませんが・・・。