世論調査について ~「景気・雇用対策」を並べるのはおかしい~
裁判は、証拠によって証明されるか否かが極めて重要な「証明の世界」です。
証明されているかいないかは、結論を大きく左右する重大な問題です。
裁判で「証明」が大切な理由
ところで、なぜ裁判では「証明」が大切なのでしょうか。
裁判で証明が重要視されることには、きちんとした理由があります。
それは、紛争を解決するという目的のためのルールとして必要だからです。
事実があるかないかはっきりしないグレーゾーンを決着させるため、「証拠による証明がなされていなければ、その事実はなかったものとして扱う」というルールにしているのです。
ここでは、この「扱う」というのがポイントです。
裁判官も神様ではありませんし、タイムマシンに乗って過去を見てくるわけにはいきません。
だから、本当の真実というものは絶対にわかりません。
裁判でも、真偽不明でどちらが正しいのかわからないということもあるでしょう。
そういう場合でも、裁判では「真偽不明だから何とも言えません」という結論にするわけにはいきません。
そこで、「真偽不明の場合は証明されていないことになるから、裁判の判決ではその事実はなかったものとして扱うことにします」という取り扱いにしたわけです。
証明がない≠事実でない
でも、こうして見てくればわかるとおり、裁判でいう「証明されていない」とは、本当は「真偽不明でどちらなのかわからないもの」を、ルールで「事実はなかったものとして扱う」ことにしているだけです。
つまり、証明されていないからといって、その事実がなかったと断定できるわけではないのです。
裁判以外の場でも、「証明されていない」という言葉は使われます。
例えば、医学の世界では、体の何かの症状と、その原因と疑われている物質との関係について、「因果関係は科学的には証明されていない」と言われたりします。
でも、これも先ほどの裁判の話と同じです。
医学的な証明は、統計学などを根拠に「確実である」といえるものを、そう呼んでいるだけです。
ですから、「証明されている」ものは「確実である」といえますが、「証明されていない」からといって、その事実がなくなるとは限らないのです。
にもかかわらず、なぜか最近の世の中では、意図的なのかそうでないのかはわかりませんが、「証明されていない」という言葉が「そんな事実は存在しない」という言葉と同じ意味で使われていることが多いように思います。
また、「証明されていない」という言葉を聞いた人も、同じように「そんな事実は存在しない」という意味だと勘違いして理解してしまう人が少なからずいるように思います。
みなさんは、言葉のトリックに騙されないように気をつけてください。