一番大切なもの
日本国憲法をはじめとする近代憲法は、基本的に「個人の尊重」という考え方を基本としています。
個人がまず尊重されると確認した上で、その個人が集まって社会を構成し、その社会という場におけるルールを考えていく、という発想です。
自分勝手とは違います
日本では、「個人の尊重」というと「自分勝手」と誤解されがちですが、これは大きな誤りです。
当然のことながら、人間は一人では生きていけません。ですから、憲法が立脚する「個人の尊重」とは、自分だけの尊重ではなく、必ず他者の存在が前提となっています。
つまり、「個人の尊重」とは、自分だけを尊重してもらうという意味ではなく「自分と同じくらい、自分以外の他人も最大限尊重される」ことを想定しているのです。
想像力をもつこと
他人を尊重するとはどういうことかと疑問に思う方もいるかもしれません。
それはずばり「想像力を持つこと」にほかなりません。
自分が個人として尊重されたいと思うのであれば、きっと他人もそう思っているのではないかと想像してみてください。
自分が今こうしたいと思っているとき、他の人も同じように思っているだろうか、逆にこう違うことを思っているだろうかと想像力を働かせてみてください。
そうすれば、自分のことばかりではなく、他人のことも尊重できるようになるのではないかと思います。
さらに、あなたが他人を尊重できるようになれば、同じように他人からもあなたが尊重されることを期待できると思います。
想像力が足りないのでは?
このように、憲法や個人の尊重ということを考える際には、想像力がとても重要になります。
ですが、最近の日本をみていると、どうも想像力が足りないのではないかという場面が見受けられます。
場面が変われば他人と自分が入れ替わる可能性もあるということが想像できずに、他人を自分とは違う存在であると切り捨てて排斥してしまう空気が蔓延している気がするのです。
自分と違う存在であると他人を切り捨ててしまうことは、自分も他人から切り捨てられる可能性があるということです。
そんな他人から切り捨てられてしまうような不安な社会よりも、みんながもっと想像力を持ち、他人を尊重することで結果的に自分のことも尊重してもらえるような、そんな社会の方が幸せな社会なのではないかと思います。
みなさんは、どう思いますか?