「考えること」の重要性
憲法について書くのは久しぶりです。
この間、特定秘密保護法という法律が成立しました。ですが、実は、この特定秘密保護法には全国の弁護士会が反対していて、法律が成立した今でも、法律を廃止すべきであるという意見を持っています。
代表的なものとして、日弁連のHPを紹介します。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/secret.html
この意見の根拠にあるのは「憲法上の人権を侵害する可能性が高い」という理由なのですが、国を守るため必要だといわれるような法律がなぜこれほど問題視されるのでしょうか?
それは、憲法が求めている価値観を理解しなければ、なかなか理解しにくいと思います。
一番大事なものは何ですか?
みなさん、「一番大事なものは何ですか?」と聞かれたら、何と答えますか?
私は決まっています。自分です。
きれいごとは抜きにして、自分以上に大切なものなんてありません。
自分の次に大事なものは家族です。
一番近くにいる人間を大切にしたいと思います。
その次は、親しい知人や友人、職場の仲間、同業者・・・と広がっていきます。
もちろん、他人よりも、自分の好きな食べ物や趣味などを優先したくなることもあります。
でもそれは物が大事だからではなく、あくまでも「自分が」大事だと思うものだからです。
なので、優先順位としては物より人の方が上になります。
では、全く知らない他人は全く大事にしないかというと、そんなことはありません。
逆の立場になれば、その人も自分が大事で、家族や親しい人が大事なのかもしれません。
そういう人の幸せも考えてあげなければ、相手からも自分の幸せを尊重してもらえないと思うからです。
このようにして大事なものに優先順位をつけていったとき、「社会」や「国」というものの優先順位は確実に下がります。
自分や、家族や、親しい人、周りの人たちが幸せになるために必要だと思うから社会や国をよくしようと思うだけで、それ以上に「社会や国のため」に自分を犠牲にしようという気持ちはありません。
自分も尊重してもらいたいから、同じように見ず知らずの他人であっても一定の尊重はしたいと思いますが、自分と同じくらいに「社会」や「国」というものを尊重したいとは思えません。
「社会や国のため」というのは目的ではなく、あくまでも手段にすぎません。
みなさんはそうではありませんか?
個人の尊重
憲法は、実は、これと同じ価値観を前提としています。
よく「個人の尊厳」や「個人の尊重」といわれます。
誰かの自分勝手やわがままを許すという意味ではなく、一人ひとりの生身の人間をそれぞれ最大限尊重していこうという発想です。
ところが、最近の日本では、どうもこれとは違う価値観で物事が考えられているような気がします。
生身の人間を離れて「国益」という言葉が使われたり、「個人の尊重」のせいで自己中心的な人間が増えたなどと言われたりします。
このような価値観は、憲法の考え方とは違うものです。
ですから、憲法のせいで自己中心的な人間が増えたというような意見は、実は的外れな意見なのです。
みなさん、もう一度頭の中をリセットして、自分にとって一番大事なものは何なのか、優先順位はどうなっているか、よく考えてみていただきたいと思います。
その上で、自分の一番大切なもののためになるように世の中が動いているかどうか・・・同じ観点で、特定秘密保護法は自分の一番大切なもののためになるような法律といえるのかどうか・・・よく見極めていただきたいと思います。