建築として見ているつもりでした。見ていたのは、まちでした。
先日、阿蘇を歩いてきました。
草千里から杵島岳に、そして往生岳へ。
山焼きのあとに広がる新緑。
雨上がりの草千里には、いつもより大きな水たまりが空を映していました。
四時間ほど歩いたはずなのに、体感では三十分ほど。
山を登るというより、風景の中へ自分が溶け込んでいくような時間でした。
建築士として日々向き合っているのは、建物や街です。
けれど、建物のない世界へ身を置くと、見えるものが変わります。
土の色、草の揺れ方、岩の質感、風の向き、雲の流れ、光の移ろい。
普段は意識することのない自然の変化を、身体が少しずつ受け取っていきます。
山道を歩き、息が上がると、考え事は自然と少なくなります。
ただ息をすること、足を前へ運ぶこと、そのことだけに集中している自分がいます。
その時間は、人がこの地球の上で生きていることを、身体で思い出させてくれます。
街では、建物は雨や風、暑さや寒さから私たちを守り、快適な暮らしを支えてくれています。
その一方で、自然との距離は少しずつ遠くなり、生きている実感まで薄れてしまうことがあるのかもしれません。
街を歩いていると、役目を終えた建物や、ただ建ち並ぶだけになってしまった建物に出会うことがあります。
私は、それらを否定したいのではありません。
そんな景色を目の前にしたとき
「私たちは、どのような視点で街と向き合い、暮らしていけばよいのだろう」と考えます。
だから私は、ときどき建物のない世界へ向かいます。
自然を楽しむためだけではありません。
建物のない場所に立つことで、建物のある世界を見つめ直したいからです。
山から戻ると、いつもの街が少し違って見えます。
建物を見る目も、人を見る目も、木々を見る目も、ほんの少し変わっていることに気づきます。
皆さんも、ときには街を離れ、建物のない世界を歩いてみてください。
そこで感じることは、一人ひとり違うはずです。
その小さな気づきが、それぞれの暮らしを少しずつ変えていく。
そして、その積み重ねが、
これからの街や社会の風景を育てていくのではないかと、私は思っています。


