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神社考 【2】 神社の成り立ち-1-

今枝仁

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 引き続き、神社について考察します。

 神社の成り立ちには、諸説あります。

 私の理解では、

1 雨乞い・雷説
2 火山鎮火説
3 航行安全祈願説
4 怨霊封印説

などがあります。
 どれか1つが正しいということではなく、これらの要因が複合しているというのが正解だと思います。
 
 今回は、1と2を紹介します。
 

1 雨乞い・雷説
 
 これは、神社は雨乞いのためになされる施設で、目的は雷を呼んで、雨を降らせることにあった、とする説です。
 
 日本人は、縄文時代末期から、農耕民族です。主たる作物は、稲です。しかし、灌漑が進んでいない古代では、雨が降らないと稲は育たず、死活問題になります。

 神社に入るには、まず、「天」という字に似た、鳥居をくぐります。「天」は、「アマ」ですが、「雨」も、「アマ」です。雨はもともと天から降るものなので、同じ「アマ」ということです。
つまり、鳥居は、神社が天と雨の施設であることを示しています。

 先に進んで神社の本殿に着くと、大きな鈴からぶら下がった太い縄を揺らし、鈴を「ガラン、ゴロン」と鳴らします。これは、「ゴロゴロ」という雷の音を鳴らし、雷を呼んでいるということです。

 見上げると上には、雲を象徴する、しめ縄が張られています。

 そしてその下部や、神主さんが振ってくれる棒の先などに、白い紙をギザギザに切った、カミナリ様のものがあります。これで、雷が落ち、願い通り雨が降るというわけです。

 この雷を、雷神とするのです。
 
 神がゴロゴロ鳴るから「神鳴り」=「カミナリ」
 
 田んぼに雨を降らすから、「田」の上に「雨」で、「雷」
 
 稲の妻だから、「稲妻」、ということです。

 ギザギザの「紙」と「神」までがかけられているかまでは、分かりません。

 余談ですが、弥生時代の集落は、吉野ヶ里遺跡のような環濠集落、つまり丸い濠をめぐらせたものが多いです。
 
 吉野ヶ里遺跡は4重の環濠が巡らされています。

 これは稲作によりムラやクニができ、財産という観念が広がり、鉄器も普及したことから、戦や略奪が多くなり、外敵から集落を守るために造られたものです。

 環濠集落以前は、馬蹄形集落がありましたが、これもほぼ環状に近いものでした。

 この環状集落が、ムラやクニに発展していったのです。
 
 中国では、四角い城壁で囲んだことから、「国」という字になりましたが、日本では、集落は丸かったので、適切な漢字ではないということになります。

 日本のことを「和」と言いますが、その起源は、ムラ・クニが「環」「輪」、つまり「丸い」ことだと思います。
 
 これは、環濠集落が丸かったこと、つまり集団の形として「環」「輪」「丸」がイメージされていたことによると思います。

 英語でも、趣味の仲間を「サークル」と言ったりします。
 
 それが後に、仲良いこと、つまり「和」と結びついたと思います。
 
 仲良いことは、「円満」とも言います。「円」は「丸」い状態です。
 
 日本文化が、「和」を大事にするのは、環状集落で、協力して稲作をなさなければならなかったことと無関係ではありません。

 「大和」は「大きな和」。つまり数々の「環」「輪」「和」、つまりムラやクニが集まった国家、「大きな和」ということです。「ヤマト」とは読めません。

 日本の国旗は「日の丸」(但し、元々は江戸幕府の旗印だった)。「環」、丸い形です。

 日本の通貨は「円」。「環」、丸を意味する漢字です。

 いずれも、丸いという形状と、それが示すイメージに関連します。

 ちなみに、「縁がある」の「縁」も、「エン」という点で、「円」と共通する意味合いがあると思います。


2 火山鎮火説

 神社が発生し、広がったのは、日本列島に数多い火山の鎮火を願うためだ、という説もあります。

 さらにこの説は、弥生時代に日本の中心だった北九州ではなく、大和の地に統一国家ができたのは、近くに火山が無かったからだ、とも言います。

 九州では、阿蘇や雲仙、九重、霧島、桜島など、雄大な火山が多く、頻繁に噴火していましたから、火山が無くて広大な平地がある場所を求めて、大和に行き着いた、とされます。

 火山の仕組みが分かっている現代であればいざしらず、古代の人々にとって、火山の噴火は、恐怖と畏敬に値するものだったと思います。

 古代日本の火山の代表格と言えば、中国の書物にも名前が登場する、阿蘇山です。世界一大きいカルデラ火山とされています。

 もっとも、鹿児島湾は桜島の姶良カルデラである、とする説も有力であり、縁がとぎれていてもカルデラと認めるのであれば、こちらの方が大きいという説もあります。

 そして、古代日本では、阿蘇山の名前、「アソ」は、火山一般を指す一般名詞であるとします。

 東日本の火山の雄、浅間山は、「アソヤマ」からきているとします。

 もう一つの雄、富士山の山頂は、富士浅間神社の所有土地で、この神社は「センゲン」と読むのですが、訓読みすれば「アサマ」「アソヤマ」です。

 ちなみに、鳥取の大山は「ダイセン」と読みますが、これは山陰・北陸系の渡来人が、大和系と異なったこと、おそらく越や呉の系統であったことからくると言います。
 
 江の川を「ゴウの川」と読むあたりから、中国南部の長江流域、つまり呉「ゴ」の国からの渡来人とします。
 呉は、「南船北馬」の南船、つまり船の文化ですが、広島県には、港湾都市「呉」もあります。
 
 さらに、大きな神社は火山の噴火を沈めるために、大和朝廷から見て、その火山がある方向に造られた、ともされます。
 
 たとえば、大分の宇佐神宮は、阿蘇山ないし雲仙の噴火に対し造られたとします。

 なお、宇佐神宮については、日本史上有名な宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)の舞台となっており、朝廷がなぜ遠い宇佐神宮に神託を伺いに使者を立てたかというと、もともとそこが天皇の祖先がいた地だからだ、という説もあります。
 
 古事記や日本書紀の神話は、どこまで史実に基づくか判断に迷う面もありますが、神武天皇が宇佐に滞在したとい
う記述があることは、天皇の系譜と絡めてなんらか宇佐に言及する必要があったのではないかと注目されます。

 私見では、応神天皇が、北九州の「八幡」を根拠地にしていたところ、宇佐、安芸、吉備を経て難波に東進したことの名残と思います。
 宇佐神宮は「八幡」神社の総本山であり、北九州の八幡に通じます。
 広島市の西部や、岡山市の中心部近くにも、「八幡」という地名があります。

 この「八幡」が魏志倭人伝に言う「邪馬台国」の名残で、北九州から宇佐を経て、大和盆地に移動したという説もあります。
 「大和」が本来「ヤマト」とは読めないので、「ヤハタ」「ヤンワタ」の音に、先に述べた理由で「大きい和」の漢字を当てただけとします。

 また、伊勢神宮は、富士山ないし三原山の鎮火を沈めるために、造られたとします。
 諏訪神社の対象は、浅間山です。

 これらの火山、神社の多くは、名前が「ア行・サ行」のパターンで共通します。
 阿蘇、宇佐、伊勢、浅間、有珠など。
 「ウソをつく(火山を突く)」と、火山が噴火すると恐れた地域もあったようです。

 
 雷にしろ、火山にしろ、「恐ろしい」「畏れ多い」という感情の対象です。

 火山の噴火は地震を招くこともあります。

 当時の人間の理解を超えた自然現象を、信仰の対象としていったという考え方があるということです。

 昔、恐ろしいものを、「地震、雷、火事、親父」と言ったそうですが、恐れるだけでなく、畏れ、敬い、信仰の対象だったというとです。

 
 次回は、

3 航行安全祈願説
4 怨霊封印説

を考察します。

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今枝仁
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今枝仁(弁護士)

今枝仁法律事務所

今枝仁は、東京地方裁判所刑事部事務官、東京地方検察庁検事、弁護士となってからも公益社団法人広島被害者支援センターの監事を務めており、いろいろな角度から数多くの事件や当事者を見てきました。

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