人生の責任
私の両親は私が小学校に上がる前に離婚をしました。
母親が家を出て、私と弟は父の実家で育てられました。
長谷川家は、父と祖父母、曽祖父母もいる大家族。
祖母が母親代わりで私たちの世話をしてくれました。
そんな環境下でも祖母は底抜けに明るい人でした。
がんに2回罹患し肺と子宮を失い、最後は人工透析も受けていましたが、
常に明るく、入院中の病室で民謡を歌ったり、
何でも前向きに自分の状況をネタにして笑い飛ばすような人でした。
私はそんな祖母が大好きでした。
生き方の師匠だと思っています。
学校にたまに持っていく、
ばあちゃん手製弁当に入っていたイナゴの佃煮と
お昼に合わせて学校に届いたアツアツのおでんは強烈でした。
今からちょうど10年前、祖母は88歳で旅立ちました。
父は既に他界していたので、葬儀は私が喪主を務めました。
祖母をにぎやかに見送りたいと考え、
参列してくださった皆さんと一緒に、
祖母が好きだった歌「川の流れのように」を声高らかに合唱しました。
生死一如。
私の中で祖母はまだ生き続けています。