子育ては母親の責任?
子育ての悩みとして
・ほめる
・叱る
がテーマになることがよくあります。
「ほめる」に関しては”良いこと”と
思われがちではないでしょうか。
書店に行くとたくさんの
「ほめる子育て」
関連の書籍が置いてありますね。
しかし、先に答えを言ってしまえば、
【ほめる子育ては必ずしも有用とは言えない】
なのです。
そこで今回はほめる子育ての
1.短期的なメリット
2.中長期的なデメリット
を中心にお届けします。
ほめる子育ての短期的メリット
そもそもどうして「ほめる」ことが
子育てでは重要視されるのでしょうか。
それはそこに「メリット」があるからです。
たとえば、ほめられると、、、
・子どもが喜ぶ
(その顔を見ると親もうれしい)
・ほめられたことを子どもは頑張る
(その姿を見ると親は安心)
ほめた側にもほめられた側にも
ポジティブさがあふれています。
うまくいったと思わない方が
不思議なくらいな状態ですよね。
子どもは
・ほめられる
↓
・うれしい
↓
・頑張る
↓
・またほめられる
↓
といった好循環
親は
・ほめる
↓
・子どもの喜ぶ顔や頑張る姿が見れる
↓
・うれしい
↓
・またほめる
↓
といった好循環
問題ないどころか、
望ましいと感じても
不思議ではありません。
ほめて育てられたミサキさん(仮名)の事例
しかしたいていの物事には
・メリット(利点)
・デメリット(弊害)
の両方が併存するものです。
ほめる子育ても例外ではなく、
そこには中長期的なデメリット
が少なからず存在します。
子ども時代の育ちの影響で
「生きづらさ」を抱え、
その克服を目指す方たちを
これまでお手伝いをしてきました。
暴力、暴言、支配、存在の軽視、
濫用、搾取などといった虐待的な
環境での育ちの影響で生きづらさを
抱えた方が以前は大半でした。
しかし昨今は、過保護や過干渉により
生きづらくなった方の相談がかなり
増えてきました。
たとえばこんな環境で育った人が
生きづらくなると想像できるでしょうか。
●ミサキさん(仮名)の例
・一人っ子でかわいがられた
・ほしいものはたいてい買ってもらえた
・したくないことはしなくても許された
・大変なことは親が肩代わりしてくれた
・外出はいつも親が付き添ってくれた
・「あなたが大事」といつも言ってもらえた
・「あなたはすごい」「よそは大したことない」
と比較論でほめられた
・学校で成果が上がらなくても
「あなたは悪くない」「悪いのは周り」
と言ってもらえた
・失敗しても「あなたはできる子」と
ほめられた
攻撃や批判はあっても承認や称賛がない
家庭で育った方から見れば、これって
ある意味理想的とすら思えるかもしれません。
しかしこの例のミサキさん、
かなりの生きづらさを抱えていました。
ほめる子育ての中長期的なデメリット
何がどうであってもほめられてきた結果、
自然と「私は(人より)すごい!」と
比較論で自分を見るようになったミサキさん。
こんなことで苦しむようになりました。
・周りは親みたいにほめてくれないので
慢性的に欲求不満状態
・セルフイメージの「すごい自分」と
現実の「すごくない自分」のギャップに苦悩
・ほめられることは頑張るが、
それ以外のことには取り組めない
・失敗を恐れてチャレンジできない
・他者からの承認や称賛がないと
自分に価値を感じられない
その結果ミサキさんは
「できない自分」「すごくない自分」
を受け入れることができなくなり、
自ら人を避けるようになりました。
自分にまったく自信が持てず、
劣等感に押しつぶされるような
感覚に苛まれ、ひどく苦しく
なってしまったのです。
ほめる子育てがなぜ子どもを苦しめるのか?
ほめることは一般的に奨励されるのに、
なぜミサキさんはその子育てで
生きづらくなったのでしょうか?
そもそものお話ですが、
人は人の何をほめるでしょうか?
それは
【ほめる側が価値を感じること】
です。
親が「勉強」に価値を見出せば、
成績の良さをほめるでしょう。
(一方で成績が悪いと…)
親が「勝つこと」に価値を見出せば、
競争に勝つことをほめるでしょう。
(一方で人に負けると…)
親が「従順さ」に価値を見出せば、
素直な振る舞いをほめるでしょう。
(一方で子どもが「ノー」を言うと…)
これはいずれも
【条件付きの肯定】
このかかわりに慣れた子どもは、
最終的には
*ほめられることはする
*そうでないことはしない
という生き方を身に着けることが少なくありません。
また、
*ほめられたら「自分は○」
*ほめられないと「自分は○ではない」
という認識をもち
その結果
【他者評価に振り回される】
という生き方になりかねません。
つまり、
【自分で自分を肯定できない】
という根源的に生きづらさを
抱える可能性があるのです。
いまどきの言葉で言えば
*低い自己肯定感
と言えます。
本来「ほめる子育て」は
自己肯定感を向上させるはず。
それがこういった
正反対の結果をもたらすことが
実は少なくないのです。
「ほめる」のではなく「勇気づける」
「勇気づけ」
はアドラー心理学の考え方です。
細かくはいろんなかかわりがある
勇気づけですが、ざっくり言えば
こんなかかわり(子育て)です。
それは子どもの
・もっているもの(Having)
・していること・できていること(Doing)
を承認すること
・
・
・
”ではありません”。
Havingとはたとえば子どもなら
・高い能力
・評価される容姿
・たくさんの友だち
・賞をもらった
・親が望む通りの性格
大人ならここに
・地位や名誉
・肩書き
・経済力
・学歴
・所持物(家、車、ブランド品など)
Havingをほめて育てられた子どもは、
それがあるうちは「私には価値がある」と
感じられる一方、そこに頼りきりになると
それがなくなったときに「価値がない」と
思い込んでしまうリスクがあります。
もうひとつの”ではないもの”はDoingです。
たとえば子どもなら
・委員長をしている
・勉強やスポーツを頑張っている
・親の手伝いをしている
・周りの子にできないことができる
・親が期待することをしてくれる
大人ならここに
・人の役に立つことをしている
・人が「すごい」と思うことをしている
・人より優れたことをやれている
DoingもHaving同様、
それができているうちは「価値がある」と
思える一方、それを失ってしまうと
「価値がない」と誤認するリスクがあります。
HavingもDoingも共に大切ではありますが、
そこに頼り切りなるとそれは執着と化し、
自然体で生きることを難しくしてしまうでしょう。
そこで大切になってくるのが
『Being』
子どもが何かを持っていても、
持っていなくても、
子どもが何かをしていても(できていても)、
して(できて)いなくても、
それでもその
★”ありのまま”のわが子
を大切に思うかかわりのことです。
これが何より大切です。
そしてそのBeingは多くの方が「ふつう」と
思い込んでいることがほとんどです。
でも実はそれはふつうではなく、
とても有難いことだったりします。
・今日も生きてくれている
・「おはよう」と言ってくれる
・笑ってくれる
・話してくれる
・元気にごはんを食べてくれる
・学校に行ってくれる
・友だちと遊んでくれている
・「いやだ!」を言ってくれる
・家に帰ってきてくれる
どれもこれも「ふつう」に見えます。
しかし、わが子が不登校になり、
家族の誰とも話さなくなり、
顔からは生気を失ったわが子を
見てきた親御さんはこう仰います。
「当たり前じゃなかった」と。
どうせほめるなら
わが子をほめること自体が
問題ではありません。
問題になるのはそこに
「親の期待」
が色濃く反映されていること。
そしてその期待が
「子どものあるがまま」
に反していること。
この二つが併存するとき、
「ほめる」が薬ではなく
毒になることもあるのです。
だからこそどうせほめるなら、、、
先に述べた
●ふつうに見える「すでにあるもの」
と
●子どもが喜びを感じているもの
●子どもが大切にしていること
を見出し、そこに「いいね♪」を
出してみてほしいのです。
それが子どもがもっている
趨勢(人生の方向性)を
育てる助けになると思います。
もちろん私たち親は
完全ではありません。
失敗して当然です。
その不完全で、失敗するのが自然な
「今日の自分」にできる最善だけを
尽くせば十分ではないでしょうか。
私も日々失敗と学びの連続です。
ともに今日の自分にできる最善を
尽くしていきましょう。