子育ては母親の責任?
カウンセリングオフィストリフォリの高澤です。
昨日はまさかのデータ吹っ飛びでコラムお休みしました。
今日はそうならないようPCで入力しています。
ところで今回のテーマは
*子どもの苦しみ・痛みを抱える
です。
そのときの様子
何回か前に、うちの息子が同級生から激しく背中を蹴られたということをコラムに書きました。息子にとっては身も心も結構なダメージだったと思います。
息子からの話と先生の話を総合すると、廊下を歩いていたら突然脊柱をもろに膝蹴りされ、呼吸困難に陥っていたようです。その場に先生がいてすぐ対処してくれたからよかったものの、もしいなかったらと思うとぞっとしました。
対処のターニングポイント
息子のそのときの様子が思い浮かぶほどに胸が裂けるように痛み、私のほうが号泣してしまいました。でもこのとき、奥さんと話し合えたこと、援助者という仕事で学んだことが役に立ちました。
昔の私だったら一も二もなくカチコミ(汗)かけていたと思います。でもしませんでした。先生が先方の親を呼び出し、注意してくれたというのもありますが、それ以上に、今ここで親がすべきことを知っていたからです。
フォーカスのズレ
愛するわが子が傷つけられた。
そんなとき多くの親御さんは「傷つけた相手」にフォーカスを当てます。「なぜこんなことを」「許せない」「謝れ」と怒りの炎は燃え上がります。
ともするとその怒りは子どもにまで向くこともあります。「なぜそんな目に遭った」「なぜやりかえさなかった」「お前が弱いからだ」みたいに。
でも不思議じゃないですか?
傷ついているのはわが子です。傷ついた人に必要なことは癒しです。ということはこの場面で必要なことは子どもを癒すことです。それなのにフォーカスは相手なんです。感情も怒りなんです。怒りで人は癒されないのに。
なぜでしょうか。
それは私たち親が自分の痛みを抱えることが難しいからです。
癒しのお手伝い
傷ついたわが子を癒したいなら為すべきはこれひとつです。
*子どもの心の痛みを聴く(聞いてるこっちも痛いです)
このとき私たちは相手ではなくわが子を見ていることになります。そこで感じているものは怒りではなく「痛み」です。聴く側の私たちも痛いんですよね。しかもかなり。。。
でもそれが先々子どもたちの
*痛みを逸らさずに抱えることができる力
につながっていきます。
それを手伝う役割をもつ我々親のほうが先に
【痛みを抱っこする力】
がどうやら必要みたいです。
その後の結末
息子の痛みトークをしっかり聞きました。わたしゃ胸が破れるんじゃないかと思いました。その日を過ぎても思い出すたび涙が止まりません。
それなのに当の本人は出すだけ出したらケロッと元気に。それどころか蹴った子と遊んでいました。
「よーそんなことできるね?とうちゃんなら3年は恨むかもよ」と言ったところ、
「だって終われば終わりやん!謝ってもくれたし!友だちやけんそれでいいと!」ですって。
さらに思い出しては涙する私を一喝。
「しっかりしーよ!親やろ!」
子どもの力、おそるべしですね( ̄▽ ̄;)