「子どもを叩いてしまう…」
おはようございます。
たかざわです。
写真は昨日のスーパームーン。
きれいなお月さまでした。
気分よく床についた昨夜でしたが、今朝は息子とひとバトル勃発しました( ̄▽ ̄)
子どものやらかしあるある
保育園や幼稚園、小学生くらいまでのお子さんを育てている親御さんのお話を聞いていると、似たような「子どものやらかし」に困っていて、「怒りたくないのに起こってしまう…」なんてことは日常茶飯事のようですね。
・忘れ物
・自分のことを自分でしない
・「やる」と言ったことをやってない
・嘘をつく
・叱ると逆ギレ
などなど
些細なことばかりのようでもありますが、これが日々のことになると親の身としては大変ですし、それ以上に、これから先の「わが子の社会性」につながる要素でもありますから、笑って見過ごすわけにもいきませんね。
「叱る」はよくないこと?
私はアドラー心理学というものを学びまして、そこでは
*叱らない
*褒めない
子育てというものを学ばせてもらいました。
褒める一辺倒の子育てについては、幼少期に過保護で育った方たちが抱える生きづらさを相談の場で見聞きしてきたこともあって、その危うさには以前より気づいておりました。
叱らない子育てに関しては、心理学的に「批判や叱責は役に立たない」と実証されていると大学で学んだことを記憶しておりました。
でもですね、日々子どもに接しているとやつら(汗)の欲求の暴走場面に出くわすことはしょっちゅう。
行動修正の促しを要する場面は多々なわけです。
それでも「叱ってはいけない」というメッセージに縛られてしまったら、私たち親はどう動けばいいのでしょうか。
結末を体験する
子育てのやり方に「結末を体験してもらう」という方法があります。
子どもが不適切な行動をとったとき、それを叱るのではなく、結末を体験してもらうわけです。
たとえば私が小学生の頃。
宿題を忘れたら先生に怒られましたし、廊下に立たされて友だちから笑われたりしたものです。
忘れ物をして家に取りに帰らされたこともありました。
当時はすごく嫌でしたが、この結末を体験したお陰でやるべきことを自分でやるということが身につきました。感謝感謝♪
結末を体験する
そこから学ぶ
学びを活かしてやり直す
結末の体験はほんとうに大切だと思います。
ところが、、、最近の学校は以前とは様子が違っていて、優しいというか甘いというか(汗)
宿題忘れても、授業で必要なものを忘れても、提出物が期限に間に合わなくても、叱られることが無いのです。
親からのクレーム対策か何かでしょうか、少なくともうちの息子の学校や、相談者の親御さんたちから聞く限りは多くがそんな感じみたいです。
するとですね、忘れ物しようが、宿題をせずにいようが、子どもは何のデメリットもないわけでして。
もしそれで親が「叱る」こともせず、そこをスルーして「ほめる」ことばかりやったとしたら、そっちのほうがはるかに恐ろしい結末が(数年後か数十年後に)訪れる気がするのです。
問題は「叱ること」ではなく「何のために叱るか」
ということで、少なくともわが家では「叱らない」子育てはやっておりません。(アドラー先生、ごめんなさい(( _ _ )))
その代わり、「何のために叱るか」という目的は両親でしっかり共有しています。
*自分のことに責任を持てるようになるため
*周りと協力して生きていけるようになるため
この二点だけを軸に子育てしています。
自律(自立)と協力のふたつだけです。
あとはほぼスルーしてます^^;
この二点を外した時だけ、われわれ夫婦は「叱る」という手立てを使います。(ときには「鬼」みたいになることも 汗)
もちろんその前には、子どもの言い分を聴きますけれど。
もしも「叱る」がただ
・言うことを聞かないから
・自分の期待通りではないから
・自分が不快だから
という我欲から出ているようなら、それは「叱る」ではなく「怒る」なのでしょうね。
怖いのは「叱ること」ではなく「叱ってはいけない」というルール
世間でいう正論には
*ほめる子育てが大切
*叱るのは良くないこと
といった暗黙の前提がまだまだ残っているようです。
こういった思い込みに支配されると、私たち親は動けなくなってしまいます。
だって、子どもが不適切な行動をしたときの対応策がなくなるから。
先日あるおかあさんがこんなことをおっしゃってました。
「子どもの良くない行動を改善しなきゃと思っても、叱ったらいけないって教わったから、私はどうしたらいいかわからなくなるんです」と。
「叱ってはいけない」というルールに縛られる
↓
子どもの不適切な行動を見ても関われない
↓
ストレスが過剰になる
↓
子どもの不適切な行動は改善されない
↓
怒りが蓄積し、限界を超えると大爆発…
こんな悲しい事例を聞くことは少なくありません。
ここから考えると、「叱らない」というルールに縛られて大ごとになるくらいなら、最初から「叱ってはいけない」というルールを手放したほうが、よっぽど精神的に余裕が生まれるのではないかと思います。
とはいえ、なんでも言ってよいとなるとさすがにまずいので、願わくは代替案としてこんなものがあるといいのではないかと思っています。
なるべく叱らずに済むならそれに越したことはないけれど、その必要があるときは…
●親自身が叱る目的を明確にしておく
●その目的に一貫性を持たせる
●叱る理由を子どもに伝える
●叱り方を洗練させる
●叱ったあとはきっちりフォロー
感情の禁止は私たちを苦しくはしても、助けることはありません。
「叱り」は「怒り」から出ることが大半。
「怒ってはいけない」よりも、「怒りは感情だから感じていい。ただ、行動だけ洗練すればいい」のように、より現実に即したルールに変えていけると良いのではないかと思います。
「べき」はとにかくしんどいものです。
過度だったら緩めていきたいですね、お互いに(^^)