なぜ親が無力さを受容するほどわが子の問題が解決するのか?
こんにちは。
今日は年に一回の人間ドックの日。
今回は脳ドックも受けました。
昨日息子にそのことを伝えたら、急に彼お得意の「ふあん症」がやってきたらしく、「検査いかんで!手術せんで!」と涙目で訴え。
病気→手術…という流れになることが心配だったようで。
さらに今朝一緒に学校まで歩いていく道すがらでは、お日さまに必死に手を合わせてお祈りしていました。
「とうちゃんが手術になりませんように!」
そう言ってギューッと抱きついていました。
もう、ただただかわゆいばかり(*≧∀≦*)
昔は孤高の男(汗)気取りの私でしたが、愛する妻と息子ができてからは、ずっと一人はもう耐えられそうにありません(涙)
さて、そもそも人は一人では生きていけません。
だから人とともに生きていきます。
その中で一番喜びを感じるのは人と親密に過ごす時間。
だから私たちは悲しいとき、寂しいとき、人に近づいていくようにできているようです。
親密性の中にある癒しと触れ合いを求めて。
一方、反対に人は時に自ら退くことがあります。
それは
*恐怖
や
*恥
を感じるとき。
目の前に危険があれば、恐怖を感じて退くのは生き物として当然の仕組みです。
最たるものは直接的な攻撃、脅威などでしょう。
例えば暴力。
そこから逃げて身の安全を守るのが最優先ですから、退くことは理にかなった行動です。
しかしそれがトラウマ化し、危険でないものまで危険と見なし、退避してしまうと、孤立へと進み、もっとも喜びが得られる親密性と正反対に向かってしまいます。
退避するもう一つの感情は「恥(シェイム)」
ちょっと失敗した、迷惑をかけた…。
そこで恥を感じることでやり直したり謝ったりするのはとても健康的。
だからこそ周りは受け入れてくれるのです。
ところが、これが行きすぎて、
(失敗した/迷惑をかけた)「自分」はダメ人間!などと自分全体にまで広げて捉えてしまうと、耐え難い恥を感じます。
これがシェイムです。
そうなると「バレたらたいへん!」と思うものを隠したり、自分自身が隠れたり、などという対処になることでしょう。
するとこれも最大の喜び体験となる親密性から遠ざかってしまいます。
さらに困ったことに、恐怖体験に対処できなかった自分を恥じることがあります。
恥体験に対処できなかった自分を恥じることもあります。
すると、恐怖や恥だけでもしんどいのに、下手をするとシェイムはその苦しみを2倍にしてしまうことだってあるのです。
そのままだとつらすぎますね。
ではこのシェイム、どうしましょう。
いろんな下準備は必要ですが、一言で言えば
「隠す」を「開く(さらす)」
へとシフトしていくとよさそうです。
もちろん開く相手、開く内容、開くタイミングはしっかり検討して。
いざ開いてみると、隠していた時はとんでもなくひどい目に合うような「気が」しているものの、じっさいにやると「それ!あるある!」と受け止めてもらえること多いです。
批判や否定どころか反対に共感(^^)
美女と野獣なんてまさにその代名詞❗️
勇気はいりますが、そうやって自分をオープンにしていく中で、シェイムほどの恥から健康的な恥へと移行していけるといいですね。
「あ、やっちった 汗 テヘペロ〜(о´∀`о)」くらいの感じで(^-^)
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