自分の可能性を閉じないで!
コミュニケーションの多様化
最近、よく耳にする言葉として「自己肯定感」が挙げられます。我々の時代にはなかった言葉です。しかし、精神医学上では、「承認欲求」として、広く知られており、誰もが抱えている心のコンプレックスのひとつにあげられます。
特に、日本人の、どちらかというと女子高校生が、世界で最も「自己肯定感」が低いといわれています。この背景として、「日本語そのものが持つ特性」と「コミュニケーション方法の多様化」が挙げられます。
私自身、塾を経営するにあたり、日本語と英語の違いを、改めて思い知った次第です。この日本語がもつ、独特の「曖昧性」は、文字に起こすと、非常に複雑な心理を含むことになってしまいます。
これが功を奏して、日本文学独自の繊細さや心象描写の秀逸さなど、いい部分もあるのですが、若年層のコミュニケーションにおいては、おおむね負の効果が表れているように思います。
だれでも、好き嫌いは、あるのですが、ともすれば、普段親しく交流している友達相手ですら、文字上のやり取りとなると、「疑心暗鬼」におちいってしまうようです。これらの曖昧性を補填するように、絵文字やスタンプを多用する文字上のコミュニケーション術も、日本独自のようです。
文字による語数の限界
人の感性というものは、自分の考えを、いろいろな人と会話、相談しながら、バランスを保ち、徐々に自分の考え方を確立していくものだと考えています。口頭での会話では、当然、「あーでもない、けど、こーかもしれない、でもこういうかんがえかたもあるよねぇ・・・」などなど、たくさんの言葉を用いて、自分の考え方を表現することができます。しかし、文字には、語数の限界があります。
みなさんも、経験はないでしょうか?例えば、「3分間スピーチ」などをする場合、3分間しゃべる内容を文字に起こすと、意外に膨大な量になるものです。これを、LINEやチャットなどで、文字で表現するかというと、やはり無理があります。
日本人は、日本語に当然慣れており、行間を読む癖をいつのまにか身につけています。また、1人でいると、気持ちが負のスパイラルに陥りがちになるものです。その結果、生身の人と接するのが怖くなり、コミュニケーション障害や、登校拒否などにつながるケースも少なくないようです。
昔の「飲みにケーション」は、よくできたもので、強制的に飲ませるなどのハラスメント行為を除けば、実に有意義な場でありました。
同時に、LINEなどのSNSツールがなかったので、その場を離れると完全に一人ですから、余計な情報は入ってきません。まぁ、さすがに携帯メール程度はありましたが・・・さすがにそこで相談や会話は、やりませんでした。相談や会話をする日程調整などに使用するのが関の山だったと思います。
まず、「自己肯定感」を低くしないためには、SNSで深刻な話はしない方がいいと個人的には思います。
コンプレックスを受け入れること
これも、前回のコラムにてお話しした気がするのですが、要するに、「嫌なことを実行する」ことに対しての「耐性」を繰り返し付けていくことだと思います。
学生時代においては、「勉強」ですが、肯定的にとらえれば、勉強をしている間は、「余計なこと」を考えなくても済むと思います。「自己肯定感」の低下を産む、考え方の負のスパイラルに陥ることはないでしょう。
しかし、「自己肯定感」となると、これだけでは足りません。とある書物で、「50代以降の生き方の違い」について、興味深いことが書いてありました。それは、「自分のコンプレックスを受け入れることができるかがカギである」ということです。
自分のコンプレックスというものは、生まれつきのものもありますし、後天的に持つものもあるでしょう。まずは、それらを1つ1つ挙げてみることからスタートしてみてはいかがでしょうか?
自分の至らない点、悪い点も、やはり自分です。そしてその自分として、今後の人生生きていくわけですから、この部分から逃げずに、しっかりと向き合うことから始めることが肝心です。
列挙したコンプレックスのうち、当然改善できるものもあれば、絶対に変えられないものもあると思います。それらを区別して、改善できるものは改善すること、変えられないものは少しずつ受け入れていくことが大事だと思います。
自分のコンプレックスは、他から見るといい点かも??
そして、何より大切なことは、「人を信じること」です。もちろん、誰もかれも信じてしまってはいけません。世の中、だましてやろうと虎視眈々と狙っている人も多く存在します。今まで、自分が出会った中で、この人なら相談してもいいかな?と思える人に、思い切って相談してみることも大切です。
他の人からみると、意外に「それって、別にいいんじゃないの??」といった返答が帰ってきたりするものです。相談するだけで、コンプレックスが消えてしまうことだってあるわけです。
また、自分の殻に閉じこもってもいけません。かといって、自分だけの力で突き破るのも、並大抵の覚悟がないとできません。そこで、信頼できる人に、アドバイスを乞うことも重要な要素だと思います。
自己肯定感をもたないと、実力を発揮できない
これまでの話からも、わかるように、「自己肯定感」をある程度持たないと、例えば学力があったとしても、発揮することができないケースも考えられます。
つまり、「自己肯定感」を持つことが、学力向上よりも、重要であるということです。
また、逆に自分のいいところを、自分で認めるのもなかなか勇気がいることです。この部分を見出して、第3者の目から教えることが、塾の役割ではないかと考えています。
少なくとも、いろいろな学習塾、予備校で得た経験、そして約20年のサラリーマン経験を踏まえて、人を本質的に伸ばす方法を日々考えた結果です。
人を育てるということは、大変難しいことです。しかし、人生を懸けてでもやりがいのあるテーマでもあります。今後も、可能であれば追求し続けていきたいと思う今日この頃であります。