「マル付け病」の蔓延と治療法
日本人の読解力の現状は?
国立教育政策研究所のHP(国際学力調査(PISA、TIMSS):文部科学省 (mext.go.jp))において、国際的な学力調査の概要と結果、ならびに推移が掲載されています。実施されている内容は、「読解力」、「数学リテラシー」、「科学リテラシー」の3つの分野でなされています。
依然として、世界的なレベルとしては、高い位置を示しているものの、やや読解力が低めであるという事実もあります。しかし急速に下がっているかというとそうでもなく、ほぼ横ばいで推移しているのが現状です。
しかし、現場で見ていると、「読解力」のなさが、他の教科の成績に大きな影響を及ぼしているという感覚は否めません。
さらには、この国際的な基準で測られていない要素として、「考える力」の定量的評価があります。「読解力」=「考える力」ではないと思いますし、実際現場で教えていてもそう感じます。「読解力」が基本にあることには間違いはないのですが、そこから「考える力」につなげる方法を、個人個人の生徒さんと向き合いながら検討する必要があるでしょう。
読解力を上げるにはどうすればいいの???
このような質問をよく受けることもありますし、ネット上でも見かけます。何もかもが急速にデジタル化される現代において、冊子で読むのか、デジタル図書で読むのかという議論もありますが、その辺は、私は正直どちらでもいいのかなと思っています。
私が子どもの頃も、今もそうなのかもしれませんが、これらの質問の答えとして「たくさん本を読みなさい」といわれるケースが多いのではないでしょうか?しかし、ここに罠があるように思います。
要するに方向性です。「本を読むのが好き!」→「たくさん本を読む」→「読解力が付く」という方向であれば、何の問題もないと思います。しかし、これが逆だとどうでしょう?「読解力をつけたい!」→「本をたくさん読む」→「本が好きになる???」と、果たしてこううまくいくのでしょうか?そう簡単にはいかないと思います。
何のために「読解力」を上げるのか?
あくまで私見ですが、先ほども申し上げたとおり、「読解力」から「考える力」につなげないと意味がないと思っております。
かくいう私も、幼少の頃、積極的に読書をした経験もありませんし、一時のブームとして本を読むこともありましたが、それは大人になってからでした。しかし、自分でいうのもなんですが、「よく考える」(一部では考えすぎとよく言われてきましたが・・・)方だったと思っています。
つまり、自分の経験からすると、数学や理科、社会などを勉強するうちに、「読解力」がついていった感覚があります。
ただ、「本をたくさん読めばいい」ということだけで、「読解力」はつかないということができるのではないでしょうか?
本を読まされるくらいなら、国語の問題集でも解きましょう!
「国語」を教える立場になり、改めて「国語の問題集」のすばらしさに気づきました。論説文や物語文、随筆文など、さまざまな分野の本の一部を抜粋して、さらにどの部分をどう考えればいいのか、しっかりと「問題」として記載されているわけです。
個人的には、だだらに「読書」をするより、よほど効率的ではないでしょうか?問題を解いているうちに、興味の出た本や作家の本を、さらに調べて読んでみるという過程を踏めば、自然と読書に興味が湧いてくるのではないでしょうか。
また、映画などをみて、原作を読んでみるという手段もありだと思います。登場人物の顔が具体的になりますから、よりストーリーに入り込むことができるのではないでしょうか?
考えながら読むことが大切!
いずれにしても、考えながら読むことが大切です。物語文なら、登場人物の行動の理由や、自分が感じた感情の理由などを、ざっと考えながら読むことだと思います。論説文だと、作者は何を言いたいのか?その意見を読んで、あなたはどう考えるのか?などを併せて考えていくと、「読解力」から「考える力」へ結びつけることができると思います。
そうすると、他の教科である「数学」、「社会」、「理科」などを解くときも、問題文で何を問われているのか?どう答えればいいのか?そのためにはどういう順序で考えればいいのか?という、いわゆる「考える筋道」を導くことができるようになると思います。
以前も言いましたが、その過程において「どの部分が分からないのか?ということを、できるだけ絞り込んでいく」こと、そのためには、「問題集の解説文をしっかりと読みこむこと」、そして、「解決方法を検討する手段を考えること」ができるように次第になっていきます。
1問が解けても、別の問題になると、分からなくなるケースも少なくありません。ですから、類似の問題を、何度も何度も練習しないと、身につきません。
「読解力」をつけることは、生きることの出発点?
生きていくには、上記のサイクルが、いろいろな場面で必要になってきます。よく専門家の方々は、「願望・希望」を「動詞化」することが大切だといわれています。まさに、「読解力」を付けるということは、この「動詞化」の出発点ではないでしょうか?
「読解力」は、「書く力」、「話す力」、「聞く力」、「考える力」など、人間が生きていく上で大切な能力を育むための、もっとも基本的な部分であると思っています。
「学習塾」は、他の習い事とは違い、この点をしっかりと伝えていくこと、実践されていくことが最も大切だと考えます。
みなさんも、実践されてみてはいかがでしょうか?
「読解力」がつかないと、「生きる力」が弱くなる?
今まで述べてきた内容を、逆に考えると分かりやすいと思います。「読解力」をつける努力をしないと、「書く力」、「話す力」、「聞く力」、「考える力」が醸成されません。そうすると、思わぬトラブルに巻き込まれたり、誤解を与えたり、逆に誤解をしたり、など、生きていく上で、余計な困難に遭遇する可能性が増すと思いませんか?
「読解力」をつけて、学習能力が上がったところで、人生必ずうまくいくという保証はありません・・・。しかし、努力しない人は、決して報われることはないと考えています。
まずは、できることから、できるだけ努力してみませんか?