コロナ堝でも稲盛哲学を実践し最高益! <浦安市川の中小企業支援コラム>
負ければ殺されるかもしれない命懸け勝負の“代打ち”(ヤクザ等の個人や組織の代理として麻雀等の賭博を行うこと)、その世界で20年間無敗を誇った雀鬼・桜井会長を、プレジデント7月号は取り上げた。“運に選ばれ続けた勝利の哲学”を、以下要約抜粋して紹介します。
勝負事における「負け」の99%は「自滅」だ!
牌を切る動作において、洗練された動きとは「力みのない柔らかさ」だ。牌を捌く、その動作一つで、麻雀の実力は分かってしまう。それだけ牌を切る動作は奥深いものを持っている。そして、洗練した動きをすることで、運が味方してくれるようになるのだ。チャンスのときだけ頑張ろうとするから駄目なんだ。本当はピンチを如何に楽しむか、それが運の強さに関わって来る。何故なら勝負事における「負け」の99%は「自滅」であるからだ。私は代打ちの場面で、ちょっとしたリズムの狂い、息の乱れといったものから、相手が一気に崩れて行く様子を幾度となく見てきた。平常心を失うと『運』をもっていかれる、この「自滅」の考えは、ビジネスや生き方そのもの等全ての場面において同じことが言えるはずだ。
自分にはない化けものみたいな力が出てきたときこそ、初めて勝てる!
麻雀というゲームは、トラブル(苦難)だらけのゲームだが、そのトラブルを避けるのではなく、トラブルを乗り越えながら戦っていくゲームだ。大抵の人は、リーチがかかると腰が引けて逃げ、相手を崩す絶好のチャンスをわざわざ逃している。真のチャンスというのは、苦難の中に飛び込んで、壁を乗り越えていくことの中にこそある。辛抱して辛抱して腐らず流れを掴む努力をする。集中とは、丸い感覚で、180度のものが見えている状態、天から自分を俯瞰するような感覚だ。冷静になって仕事の流れ、ゲームの流れを見極めるのだ。勝負というのは、その場になって、自分にはない化けものみたいな力が出てきたときこそ、初めて勝てるもの。そのツキを手にしようと思ったら、ふだんの麻雀に対する姿勢が大事なのだ。五感というものは、心を澄ませ、精神を研ぎ澄ませていかないと、常識の範囲内でしか機能しない。汚れた心を通じて何かを見ても、本質は見えてこないのだ。
辛いことがあってもそれはいつまでも続かない
コロナ禍もそうだが、人間、生きていればいろんな困難に直面する。だが、辛いことがあってもそれはいつまでも続かない。また、楽しいこともいつまでも続くものではない。本来は喜びも哀しみも、人生に巡って来るもの全てに連動性があり、繋がっているものなのだ。四季のようにグルグル回って一つの円を描き続けているのだ。全てのものは「流れ」であり、繋がって見えない大きな「円」を描いている。人生が、このような壮大な循環の流れを成すものであることがわかれば、人生に対して余裕がうまれ、生き方が楽になってくる。私は辛い局面が一番楽しかったりするし、流れの変化を楽しんでいる。
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