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折本徹

入国管理局の在留資格申請手続きをサポートする行政書士

折本徹(おりもととおる) / 行政書士

折本 徹 行政書士事務所

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どうして、渉外業務を志したのか

私自身が、どうして渉外業務を志したのか?
を書こうと思います。
私は、昭和62年4月から平成7年10月頃まで、サラリーマンをしていました。
城南信用金庫、という信用金庫に勤めており、その当時から、となります。
資格の受験予備校が発行しているパンフレットに行政書士の業務紹介が書かれていて、読みました。
東京都行政書士会のN先生とY先生が取り上げられていました。
当時、「へぇ、こういう仕事をしている人がいるんだ」と思った記憶があります。
その後、行政書士として開業したときに、それを覚えていたから。
開業当初は、建設業の許可関連の仕事から始めましたが、そのうち、渉外業務もやってみたいな、と思い、
一人で勉強をはじめ、専門業務の勉強会にも出席するようにしました。
そして、平成10年(1998年)のゴールデンウィーク頃に、広告を出稿したのが始まりです。
未経験の業務については、常に不安が付き纏います。
現在も、未経験のケースは、不安になります。
平成10年当時、渉外業務の仕事を受託する当てもありませんでした。
渉外業務に参入する行政書士で、前職において、外国人と接する仕事をしていた人は、
ネットワークがあるため、仕事の受託に有利で、そうではない人は苦戦します
(たぶん、今も同様だと思います)。
私は後者であったので、広告を掲載してみよう、と思いました。
当時は、ほとんどの人達にとってインターネットは生活の一部、ではなく、
個人事業主がホームページを開設するには敷居が高かったですし、検索サイトの技術も良くない時代と記憶しています。
ですので、当時の行政書士の受任経路や営業方法は、紹介が王道で、
DMの発送、電話営業、飛込訪問、タウンページ等の紙誌への広告掲載が主で、
人によってはセミナーや研修会の講師をして集客をする、
他にも、コンサルタントと手続業務を融合している人もいました。
紹介の場合、ネットワークを作るのは、けっこう時間がかかりますし、
そもそも外国人とは、どのようにしてネットワークを作ったら良いのか、わかりませんでした。
尚、ホームページやブログですが、その数年後から普及した記憶があります。
平成10年(1998年)ゴールデンウィーク明けに台湾、韓国、フィリピンのミニコミ誌に広告を掲載していきました。
台湾、韓国のミニコミ誌からの問い合わせは、1件もありませんでしたが、
フィリピンのミニコミ誌から反響はありました。
ですので、フィリピンのミニコミ誌は、最初は一つだけでしたが、反響があったため、
もう一つ他のミニコミ誌も掲載しました。
「無料電話相談をやります」と銘打っていたのですが、当時、それが珍しかったらしく、
反響はたくさんありました。
ただ、相談の内容は、当時の私では、わからないことだらけで、調べては、折り返し電話をすることもあり、
信用されないせいか、なかなか仕事の受託には至らなかったです。
相談を受けては、勉強する、という感じでしたので、
広告料という名の研修費を払っている状態でした。
ですので、電話の無料相談は、たくさん有ったものの、上手に説明できないせいか、
信用を得られず、仕事の受託ができませんでした。
電話だけではなく、実際に会って、仕事らしいものを途中まで進めましたが、
自分の知識不足が露呈して、断られるか、連絡してもらえないことが、2件続きました。
そうした中、あるフィリピン女性から、永住者申請について、電話相談がありました。
自宅の住所を教えてもらい、用意する書類を書いて郵送しました。
そのフィリピン女性から、別のフィリピン女性を紹介されました。
「友達から、親切な人がいる、と紹介された」と言われ、
ようやく、永住者についての申請ですが、正式に依頼されました。
平成11(1999)年の2月と記憶しています。
(永住者申請ですが、長期間の審査のすえ不許可でした。知識不足を露呈しました)
この依頼をしてくれたフィリピン女性は、当時、ボランティア活動をしていたので、
その縁で、オーバーステイの在留特別許可の出頭申告の仕事を紹介し続けてくれました
(当時は、実質、30万人以上いるのではないか?と推測されていました。
平成26(2014)年12月末では、約6万人とかなり減少しています)。
平成12年2月18日から退去強制にて出国後の上陸拒否期間が1年間から5年間に
伸長される法律が、交付された時期であり(H11.8.18の交付される前から、噂されていた)、
家族全員オーバーステイの家族の集団出頭が相次ぎ、在留特別許可制度が、にわかに、
新聞やテレビに取り上げられ脚光を浴びた時期と重なりました。
平成12年2月17日以前に退去強制で出国すれば、1年経過後、日本に戻ってこられる、
と考えていた外国人が多く、彼/彼女の出頭が相次いだ時期でもありました。
業界的には、特需でありました。
これがキッカケで、フィリピン人達のネットワークやタイをはじめとする他の国の人達まで拡がり、
渉外業務の仕事を依頼してもらえるようになりました。
今やろうと思っても、再現性がある「キッカケ」にはならないので、自分は運が良かったな、と思っています。

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