オリンピック後も建設費の高騰状況は続く
ちょうど10年前の今日、3月11日14時46分頃。
震源は三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24km。
マグニチュード9.0は日本国内観測史上もっとも大きい地震。
世界でも1900年以降4番目の規模の地震だったそうです。
この地震による死者は16000人近くに及び、行方不明者も2500人を超えています。
この地震に起因する津波の被害で福島第一原発は電源を喪失。冷却不能となり水素爆発が発生。多量の放射能が放出され、広範囲で立ち入り禁止区域などが設定されました。
福島県が公表している資料によると、2021年2月現在で28000人以上が今も県外へ避難している状況です。
当時、日本に住んでいた人の少なくとも半分以上。おそらく日本に住むほとんどの人が多かれ少なかれ影響を受けたことと思います。
当時、私は建設会社に籍を置き、営業担当として川崎に勤務していました。担当エリア内でも少なくない被害報告があり、あちこちに飛び回ることになりました。
地震当日は取引先の被害の状況などを確認する必要がありました、電話もなかなか通じず苦労しました。電車も止まり、夜暗くなってから、徒歩で自宅まで20㎞以上歩いて帰ろうとオフィスを出ました。 同じように歩いて帰路に向かう人たちも少なくありませんでした。
東横線に沿って帰る途中、菊名あたりを通りかかった時に電車が動き出したので、歩いた距離は10㎞程度でしたが。
その後もたびたび来る余震。時折携帯電話が発する心臓に悪い緊急地震速報。計画停電。
建設会社社員にとっては自分と家族の安全が確認できれば、当然仕事をしなければならないことになります。
しかし、もし今、地震が起きたら私は自治会役員として、地域住民のために働くことになるでしょう。災害時には自治体の手も回らなくなり、地域の人たちが協力する必要があります。
建設会社に勤めていても、自分が住む地域の安全は重要であり、一人でも多くの助けが必要になるはずです。建設会社の社員でもあり、地域住民の一人でもある自分にはどちらが大事と決められるものではありません。
2015年、私は23年余り勤めていた建設会社を辞め、独立起業しました。
建設会社の仕事が重要なことであることは理解しています。誇りをもって仕事をしていたという自負もあります。
しかし、災害時には同じくらい優先度が高いことが起こりえることを10年前の地震で実感し、自分が長く住み、愛着のある地域のために役立ちたいと感じたことも建設会社を退職した一つの理由になっていると感じています。
今は不動産業に係わり、FPとして、自治会役員として、大田区地域力推進委員としても住みやすく温かいまちづくりに貢献したいと考えています。
今日で震災から10年。
今もまだ平穏な日常を取り戻すことができない人も少なくない状況です。また、関東地方にも必ずまた大きな自信は来るといわれています。
地域に貢献できるようこれからも 備えを忘れず、 務めていこうと思います。