コロナウイルス感染防止対策と経済への影響
1995年1月17日、あの未曽有の大災害「阪神淡路大震災」から25年を迎えました。
横倒しになった高速道路、拡がる火災、倒壊する建物。テレビで映し出される凄惨な光景は今も強く印象に残っています。
自分自身は直接の被災者ではありませんが、当時、母の姉が震度7だった神戸鷹取の病院に入院していた事もあり、他人事ではありませんでした。
また、自分はゼネコン入社2年目で土木工事の現場事務所に事務担当として勤務していましたが、同じ現場に神戸出身の後輩がいました。
彼は急きょ神戸に戻りましたが、実家に過度り着くまでに8時間以上かかったと話していたことを思い出します。
そのまま彼は被災地復旧の現場に応援に入り、そのまま神戸の支店に異動になりました。
被災地を見に行くとどの建物がまっすぐ立っているのかわからないような状況で、「ポケットの中に五円玉を糸で吊るす簡易的な「水平器」ならぬ「垂直器」を持ち歩いている」と話していたことも思い出されます。
その後も日本列島はいくつかの大きな地震災害を経験しました。
宮城県沖、十勝沖、新潟県中越、東日本大震災、熊本など各地でマグニチュード7クラスの地震が起き、各地で大きな被害が発生しています。
大陸プレートがぶつかり合う火山列島・地震列島である日本はどこにいても地震に合うリスクがあります。
南海トラフ地震、首都直下型地震などは今後30年の間に70%の確率で発生すると言われています。
時間が経つと良くも悪くも人間の記憶は薄れていきます。
地震発生直後には各家庭の非常持ち出し袋や避難所の確認、家族でいざという時の行動や連絡方法を話し合ったりもしますが、しばらくするとそうした会話や確認、準備も少なくなってしまう傾向があります。
そして、きっと忘れたころにまたきっと起きることになります。
特に東京近郊には人口が集中しています。
東京都の統計によると関東大震災が発生した大正12年(1923年)頃の東京都の人口は400万人弱でした。現在の東京都の人口は約1400万人!なんと1000万人も増えています。
平日の昼間はもっと多くなります。
国が発表している被害想定では最悪の場合、死者は23,000人、経済被害は95兆円にも上ると推定されています。
地震が発生する時間によっては多くの帰宅困難者が発生します。
消防車や救急車などの緊急車両も通行できない、災害現場が多すぎて手が回らないなどが予想されます。
都内にはまだ多くの木造住宅密集地域や、現在の耐震基準に適合していない「旧耐震」建物も残っています。
地震への備えは「自助」「共助」「公助」のすべてが必要です。
まずは自分と家族の身を守る事が「自助」
地域の住民との支え合いが「共助」
公共のサービスが「公助」です。
大災害時には公共のサービスは手が回らなくなることが想定されます。
なるべくを公共サービスを頼らずに済むようにするための備えが必要です。
各自が備えることによって被害は1/10近くまで軽減できる可能性があると言います。
すべての人が危機感を再認識し、それぞれに備えておく必要があります。
阪神淡路大震災から四半世紀。
25年前のあの日を忘れず、今一度備えについて確認し、家族とも話しておきたいと思います。