「ケアレスミスが多い」という指摘で、学力は本当に伸びるのか
怒らない指導」と「叱らない指導」は違います
私の教育について、
「怒らない指導ですよね」
「優しい先生なんですね」
と言われることがあります。
確かに私は、感情に任せて怒鳴ったり、威圧したりする指導は行いません。
しかし、それは「叱らない」という意味ではありません。
私は、怒らない指導をしているだけで、叱ることはします。
この違いは、重要です。
怒る前に、立ち止まって考えてほしいこと
子どもに向き合っていると、「あ、今、怒りそうだな」と感じる瞬間があります。
そのとき、私は必ず自分に問いかけます。
―これは、叱ってこの子のためになるのか。
感情が動いたから叱るのではありません。
叱ることで、その子の未来が守られるのかどうか。
そこを基準に判断します。
叱るべきことは、確かにあります
たとえば、
・人の物を盗む
・人を殴る
・故意に相手を傷つける
こうした行為は、迷わず叱ります。
なぜなら、そこには必ず被害者がいるからです。
「もし自分がされたら、どう思うか」
その視点を教えないことこそ、教育の放棄です。
これらを「様子を見る」「怒らないで済ませる」ことは、優しさではありません。
放置すれば、将来もっと大きな問題になります。
警察沙汰になるかもしれない。
誰かを深く傷つけてしまうかもしれない。
そうならないために、
越えてはいけない一線ははっきり伝えなければなりません。
それは厳しさではなく、責任です。
しかし、「勉強がわからない」は叱る理由になりません
一方で、次のようなことがあります。
・勉強がわからない
・テストで点が取れない
・間違える
・理解に時間がかかる
これらを叱ることに、教育的な意味はありません。
勉強がわからないのは、怠けているからでも、努力が足りないからでもない場合がほとんどです。
・前の単元でつまずいている
・説明の受け取り方が合っていない
・考える手順が整理できていない
ただそれだけのことです。
ここで叱ってしまうと、子どもは「学力」ではなく、自己評価を失っていきます。
「自分はダメだ」
「どうせできない」
「また怒られるから、やらない」
これは成績以前の問題です。
怒ることと、叱ることは別物です
怒るという行為は、大人の不安や焦り、苛立ちをぶつけることでもできます。
一方、叱るという行為は、
子どもの未来を守るためにしか使えません。
私は、
・大人がスッとするための叱責
・感情のはけ口としての怒り
こうしたものを、教育とは呼びません。
この違いは、子どもを思っているかどうかの違いです
怒らない指導をしているだけで、叱ることはします。
この違いは、指導法の違いではありません。
子どもを本当に思っているかどうかの違いです。
子どもを思っていなければ感情で怒ることも、面倒だから叱らないこともできます。
しかし、子どもを本気で思うなら、叱るべき場面から逃げることはできませんし叱る必要のない場面で叱ることもできません。
教育とは、感情ではなく責任です
教育とは、その子が将来、社会の中で自分の力で立てるようにすることです。
怒らない。しかし、叱ることはある。
その境界線を引き続けることこそが、教育における誠実さであり、責任だと私は考えています。



