“できない”の裏側にある声を、聴ける大人でありたい― BesQ・代表仁田楓翔のコラム ―
「途中式を書きなさい」
この言葉に、強い抵抗を示す子どもは少なくありません。
大人から見ると、途中式やメモは
考えた証拠
理解度を測る手がかり
ですが、子ども側の見え方は少し違います。
文字を書くこと自体に、脳の力を使い切っている
まず前提として、「考える」と「書く」は別の作業です。
特に学習が苦手な子ほど、
文字を書く
数字を整える
ノートの空白を意識する
こうした書く行為そのものに、脳のエネルギーを使い切ってしまいます。
結果として
考える前に、疲れてしまう
という状態が起きます。
この場合、途中式を書くことは「学習支援」ではなく、負荷の追加になります。
途中式は「できない自分」が可視化される
もう一つ、非常に大きい要因があります。
途中式を書くと、
どこで止まっているか
何を勘違いしているか
何が分かっていないか
が、大人に丸見えになります。
子どもにとってこれは、失敗を提出する行為に近い感覚です。
「できない自分を見せたくない」
「また注意されるかもしれない」
その結果、書かないことで自分を守るという防御行動が起こります。
これは怠けではありません。
心理的には、極めて自然な反応です。
書かない子ほど、実は“見られ方”を気にしている
途中式を書かない子ほど
注意されることに敏感
評価されることを恐れる
正解・不正解を強く意識する
傾向があります。
つまり、雑にやっているのではなく、傷つかないために、避けているというケースが多いのです。
どう関わるべきか
大切なのは、「書かせる」ことではありません。
何が分かっていないか
どこで止まっているか
を、子ども自身が安全に出せる環境をつくることです。
途中式は「評価の材料」ではなく、思考を整理するための道具である。
この認識が大人側にない限り、途中式は、子どもにとって「書くほど不利になるもの」であり続けます。
教える人と、育てる人は違う
家庭ではどうしても、
正しくさせたい
早くできるようにしたい
という思いが先に立ちます。
ですが、
理解の途中を安心して出せる場所がなければ、子どもは「考えること」自体を避けるようになります。
学習のつまずきは、能力ではなく、安心感の不足から始まることも多いのです。
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