“できない”の裏側にある声を、聴ける大人でありたい― BesQ・代表仁田楓翔のコラム ―
「集中力がない」という評価の正体
学習がうまく進まないとき、「集中力が足りない」という言葉は非常に便利です。
理由を一言で説明でき、指導する側も、保護者も、納得した気持ちになりやすいからです。
しかし、この言葉は実態を説明しているようで、実は原因をほとんど特定していません。
授業中に落ち着かない、課題に取り組む時間が短い、家庭学習が続かない。
こうした行動は確かに目に見えますが、いずれも「結果」であって「原因」ではありません。
にもかかわらず、そこから直接「集中力がない」「向いていない」「性格の問題だ」と話がすり替わってしまうと学びの改善はそこで止まってしまいます。
本来問うべきなのは「その行動が生まれる学習環境や構造はどうなっているのか」という点です。
草食動物と肉食動物に学ぶ注意の使い方
生き物の世界に目を向けると、注意の使い方は一様ではありません。
草食動物は、食事をしながら常に周囲を警戒しています。
危険がいつ、どこから現れるかわからない環境では、注意を一点に集めるよりも、広く分散させることが生存に直結するからです。
一方、肉食動物は獲物を狙う瞬間、余計な刺激を遮断し、一点に集中します。
距離、タイミング、相手の動き。
判断を誤ればエネルギーを失い、命に関わることもあります。
そのため、短時間であっても極めて深い集中が求められます。
重要なのは、どちらが優れているかではありません。
目的に応じて、注意の使い方が最適化されているという点です。
人間の学びは「集中型」である
人間の学習行為は、単なる情報の受信ではありません。
理解し、意味づけし、既に持っている知識と結びつけ、言語化するという高次の認知活動です。
このプロセスは、明らかに肉食動物型の注意、つまり一点に集中する時間を必要とします。
ところが現実の教育現場では、説明を聞きながら板書を写し、次の課題を考え、評価や正解を意識するといった、複数の認知処理を同時に求めてしまいがちです。
これは、草食動物型の分散注意と、肉食動物型の深い理解を同時に要求している状態だと言えます。
その結果、どの作業も浅くなり、「わかったつもり」だけが残ります。
そして後になって、「集中力が足りなかった」という評価に回収されてしまうのです。
設計が変われば、学びは変わる
この状態で集中が続かないのは、努力不足でも意志の弱さでもありません。
単に、集中が成立しない構造の中に置かれているだけです。
何を、どの順番で、どのくらいの時間取り組むのかが整理されていなければ、注意が散るのはむしろ自然な反応です。
学習に必要なのは、気合や根性ではなく設計です。
学びの流れが明確になり、今やるべきことが一つに定まるだけで、生徒の行動は大きく変わります。
これは特別な能力を引き出すというより、人間の認知特性に沿った環境を整えるという考え方です。
ステップアップ塾Besq 葛西が大切にしている視点
その点、私が関わる ステップアップ塾Besq では、人間の学びは「集中を前提に設計すべきもの」という立場を大切にしています。
今は聞く時間、今は考える時間、今は手を動かす時間と、学習工程を意図的に分けることで、生徒は一つの課題に落ち着いて向き合えるようになります。
これは決して特別な手法ではありませんが、「同時にやらせない」という一点を徹底するだけで、理解の深さや定着度は大きく変わります。
「できない」は能力ではなく環境の問題
その結果これまで「集中力がない」と言われていた生徒が、短時間でも深く考え、自分の言葉で説明できるようになる場面を多く見てきました。
能力が突然伸びたわけではありません。
人間の特性に合った学習環境に置かれたことで、本来の力が表に出るようになっただけです。
「できない」という評価の裏には、見直されるべき学習環境や設計が隠れていることが少なくありません。
教育に求められているのは、生徒を変えることではなく、学びの構造そのものを問い直す視点だと感じています。



