“できない”の裏側にある声を、聴ける大人でありたい― BesQ・代表仁田楓翔のコラム ―
いまだに聞こえてくる
「なんでこんなこともわからないの?」という叱責。
だが私はずっとこう感じている。
わからない子を怒る先生とは、一体何者なのだろう?
「できない」という事実を子ども自身に押しつけてしまう姿勢は、教育の本質から大きく外れている。
それは、医者が誤診しておいて「患者の努力が足りない」と叱るのと変わらない。
教育者の責任は「理解できる形に整えること」
子どもが理解できない背景には、
・説明が抽象的すぎる
・難易度の段差が大きい
・情報量が多すぎる
・成功体験が得られない
など、“教え方の設計ミス”が潜んでいる。
それにもかかわらず、子どもへ怒りを向ける大人は後を絶たない。
叱責は教育の代用品ではなく、教育の放棄だ。
『教育の99%は間違えている』が伝えたい本質
私の著書『教育の99%は間違えている』で繰り返し述べているのは、「子どもができない」のではなく、
“大人の教え方が、その子の脳に合っていないだけ” ということだ。
怒れば伸びるという時代錯誤の価値観は捨て去るべきだ。
怒られた子どもの脳は防御反応を起こし、学習回路はシャットダウンする。
つまり、怒れば怒るほど「学ばない脳」になるのだ。
教育は“怒り”ではなく“設計”である
教育者がすべきことは、難しい内容を子どもの脳が理解できる形に分解し、一つひとつ成功体験を積ませること。
これだけで子どもは動き出す。
叱る必要など本来、どこにもない。
「わからない」は責めるポイントではなく、教え方を見直す合図である。
できない子が悪いのではない。
その子に合った伝え方を探し切れていない、大人側の課題であることが多い。
教育は“才能の責任転嫁”ではない。
怒りではなく理解、叱責ではなく設計へ。
それこそが、これからの教育が進むべき方向だと私は考えている。
BesQ代表/教育ディレクター/発達支援士
『教育の99%は間違えている』著者
仁田 楓翔
『教育の99%は間違えている』



