“できない”の裏側にある声を、聴ける大人でありたい― BesQ・代表仁田楓翔のコラム ―
“型破り”という言葉の誤解
「型破りな発想」「常識にとらわれない人材」
現代社会ではこうした言葉がポジティブに使われる場面が増えています。
教育現場でも、「自由な表現を」「考える力を」といった方針が打ち出されることが多くなりました。
しかし、「型破り」は決して“最初から自由でよい”という意味ではありません。
本来、型破りとは、「型を習得した者が、意図的にその型から外れる行為」を指します。
つまり、基礎をおろそかにした“自由”は、本質的には「無秩序」であり、創造ではないのです。
「型」が果たす教育的な意味
教育や学習における「型」とは、知識や技能を身につけるための基本的な構造や手順を指します。
たとえば以下のようなものが挙げられます:
国語における作文の構成(起承転結・段落構成)
数学における公式や計算手順
英語の文型や文法ルール
理科・社会における論理的な説明や因果関係の理解
こうした“型”を身につけることで、学習者は初めて情報を正確に処理し、自分の言葉で応用できる力を培っていくことができます。
基礎を飛ばした応用は「応用」ではない
現場でよくあるのが、「応用問題に弱い」「記述で何を書けばいいかわからない」といった相談です。
これは多くの場合、基礎の理解と定着が不十分なまま、応用へ進んでしまったことが原因です。
また、「自由に書いてごらん」と促しても、基礎構造を知らなければ、ただの思いつきの羅列になってしまうこともあります。
基礎のない“自由”は、子どもにとっても保護者にとっても不安と混乱の原因となり得ます。
“型”があるからこそ自由になれる
型は「自由を奪うもの」ではなく、「自由を生み出す土台」です。
ピカソやイチローが型破りと評されるのは、圧倒的な型=基礎練習や知識の蓄積があったからこそ。
学習も同じです。
基礎を徹底して身につけた子どもは、自分の考えや言葉で表現する力、論理的に構成する力、課題を解決する力を自然に伸ばしていきます。
基礎の徹底が「自己効力感」につながる
当塾では、まず「できた!」という成功体験を重ねるための“型”を大切にしています。
これにより、子どもは自分自身の成長を実感し、自己効力感(=自分にもできるという実感)を育んでいきます。
そしてその積み重ねが、自分から学ぼうとする“本物の学び”へとつながっていくのです。
今こそ、“型”を見直す教育を
時代が求める「主体的な学び」や「創造性」を支えるのは、やはり揺るぎない基礎です。
「型破り」を目指す前に、子どもたちに確かな“型”を授けることこそが、教育者・保護者の最も大切な役割ではないでしょうか。



